笙(伶楽舎)の方と
催馬楽(さいばら)※を演奏しました。
歌(メゾソプラノ)と笙で
ああか、こうかと試行錯誤。
新たに構成して上演しました。
曲は「伊勢之海(いせのうみ)」と「更衣(ころもがえ)」。
「伊勢之海」はあの『源氏物語』の須磨明石で登場しています!?
つれづれに管絃の遊びのおり、
あの<光源氏>がうたった曲です!
今から千年以上も前の曲を自分の身体(しんたい)をとおし、
<声>で歌いうという、
なんという不可思議・・・
<明治選定譜>という催馬楽や朗詠などを
五線にして書いた楽譜が明治につくられ、
その楽譜でうたいました。
が、
オペラや声楽曲をうたうベルカントとは
まったく異なる唱法のようで、
呼吸がひじょうに難しい。
息が逆流するかと思いました!?
そうそう、ステージでの装束(しょうぞく)は
狩衣(かりぎぬ)にいたしました。
狩衣は平安朝のメンズカジュアルで、
実際に狩りの時など、袖の紐をしぼると
ぐっと活動的になります。
『光る君へ』の打毬(だきゅう)のシーンで着ていました。
このときは指貫(さしぬき)ふうのパンツでヒール。
烏帽子はかぶらなかったので、ナンチャッテ装束かも(笑)。
画像手にもっている楽器は笏拍子(しゃくびょうし)
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伊勢之海(いせのうみ)
伊勢の海の 清き渚に 潮間(しおがい)に
なのりそ神馬藻や摘まむ
貝や拾はむ 玉や拾はむ
更衣( ころもがえ)
ころも衣がへせんや
しゃ公達(きんだち)
我がきぬ衣は
のはらしのはら野原篠原
萩のはなす花摺りや しゃ公達や
※催馬楽
催馬楽というのは平安時代に中国から雅楽が日本化する時、
各地の民謡、わらべうた、風俗歌を編曲した歌曲で、
その語源は、馬子が馬を引きながら歌った歌といわれいます。
宮廷や貴族社会の<管絃の遊び>でもてはやされ
「枕草子」「源氏物語」にも書かれています。
現在は宮内庁樂部が伝承し、
千数百年におよび<生>の音楽が
伝えられているのは驚くべきことです。
催馬楽の編成は斉唱と、
琵琶、笙、篳篥、竜笛、筝の雅樂のオーケストラで合奏されます。