能楽師・演出家・俳優の観世榮夫の旅立たれた2007年6月8日  | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

 

 

 

 

 

 

 

能楽師・観世榮夫(1927年-2007年6月8日)

 

旅立たれたのは2007年6月8日。

 

能楽師・演出家・俳優として活躍された。

 

 

私が観た観世榮夫氏は「冥の会」の会だった。

 

「冥の会」は新劇や狂言・能の人々で結成され、

 

それらの舞台を観たのが最初。

 

観世寿夫・榮夫・銕之丞の三兄弟がいきいきと活躍して。

 

「メディア」「子午線の祀り」などなど。


能や狂言の<声>に瞠目したのもこうした公演から。

 



その後、「パルコの能ジャンクション」、

 

渡辺守章の演出による、

 

観世榮夫、野村万斎(と名乗る前の芸大生の野村武司)との「葵上」。

 



モーツアルトのオペラ「イドメネオ」藤原歌劇団

 

演出の観世榮夫にじかにお目にかかったのはこの時。


わたしは合唱で出演していたので

 

稽古場ではドキドキしながらその言葉を聞き、参加していた。


オペラ公演の楽日に

 

やっとの思いで楽屋にうかがいプログラムにサインを。



映画などでも思いがけないところに出演されていたり。


なにか一癖も二癖もあるような人物造詣がじつにみごと。



いまだにこれを観ていてよかったと思われるものがある。


1977年来日していたジャンルイ・バローと

 

観世寿夫、榮夫と銕之丞とが出演。


司会は渡辺守章。


それぞれの演技で能と芝居の違いあるいは同質のやり方などを

 

実際の身体・所作・演技で見せて対比したりする実験的な催しであった。

とりわけ印象深いのが「traville la mort・死への道程(直訳だと死への仕事)」。

これを<呼吸>で、<息>で表現した!?

バローが、寿夫が・・・。

銕仙会が会場であった。

 



わたしの友人が観世榮夫の弟子で、

 

榮夫演出の舞台(お寺の本堂)をつかい、能をベースにした新作を企画。

 

「地謡が弱いので」おそるおそる榮夫師にお願いし、即承諾されて出演。

 

観た、というより地を這ってくるような深い深い声にとりこまれて。


もうその舞台よりも観世榮夫の<声>ばかりを聞いていた!!

本堂という能舞台でない空間であったからよりいっそう。


直接身体に地響きのよう立ち上ってくる。


この凄みのあるこれが人の<声>であるのか!?


それからは能舞台にもゆくようになった。


数々の公演のほかに「幽の会」というご自分の会をもたれていた。

観世榮夫は<縄文杉>ではないか、と。

 

 

◆観世榮夫

観世流宗家の分家観世銕之丞(7代目)の二男で、

兄の寿夫、弟の静夫(8代目銕之丞)と“観世3兄弟”として知られる。

3歳で初舞台を踏み、6歳で初シテ。

観世流シテ方として育つが、

15代目喜多実に私淑して戦後の昭和24年、

喜多流名手後藤得三の芸養子となり、喜多流に入門。

28年兄らと華の会を結成。33年には能楽協会を退会。

新劇オペラの演出も手がけ、俳優としても活動。

45年兄の結成した冥の会にも参加、

「オイディプース王」「アガメムノーン」などに出演。

54年兄の死の直前の願いで能界に復帰し、

弟・8代目銕之丞とともに銕仙会の発展に力を注いだ。

平成3年より日本能楽会会員。

5年パリでポール・クローデルの新作能「女と影」を演じた。

14年伝統芸能の演奏家グループ・玄に参加。

能役者ながら小劇場の演劇にまで出演する希有な俳優として活躍し、

能楽と現代演劇の橋渡し役を担った。

演劇「子午線の祀り」「なよたけ」、

映画「砂の女」「鉄輪」「利休」「午後遺言状」など。