『寺山修司 彼と私の物語 九篠今日子の告白』青目海(あおめ うみ) | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

 

 

 

 

 

 

 

青目海『寺山修司 彼と私の物語 九篠今日子の告白』

 

書肆侃侃房 2023年刊

 

 

 

 

九條今日子は1935年(昭和10年)、東京生まれ。

 

「九条映子」の名前で松竹歌劇団の舞台でデビューし、

 

松竹映画のスターとしてかがやく。

 

寺山修司との結婚を機に引退。

67年、寺山が演劇実験室「天井桟敷」を創立し、

 

九條は製作や映画プロデューサーとして活躍。

 

離婚後、死後も寺山を支え続けた。

 

 

著者の青目海は劇団創立メンバー、

 

長い海外生活を終え、永住帰国を機に

 

2009年に九條と再会。

 

盃をかたむけながらの交友は14年の九條の死まで続く。

 

そのおりおりの九篠の語りが

 

青目の滋味あふれた、やわらかい筆致でつづられ、

 

そこに寺山が、九篠が、

 

若き日の天井桟敷の面々が立ち現れる。

 

 

劇団創設の仕事に忙殺された九篠が

 

床を転げまわりながら涙をながしつづけ

 

その壮絶な姿を寺山、萩原朔美、東由多加が

 

茫然と見ているしかなかったという

 

衝撃的なエピソードも。

 

 

著者の印象的な名・青目海(あおめ うみ)を命名したのは寺山。

 

 

若き日の輝くような九篠今日子の笑顔、

 

そっとはにかむような寺山、

 

鋭利な刃物のような萩原朔美、

 

天井桟敷のひとびとの大きな写真を前橋文学館で見た、その日に。