詩人・清水哲男さんの「鬱きざす頭蓋に散らす花骨牌」鑑賞♪    | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鬱きざす頭蓋に散らす花骨牌        掌

 

 

 

 

 

 

詩人・清水哲男さんによる鑑賞です♪

 

人気サイト「増殖する俳句歳時記」、

 

最初の十年は清水さんがおひとりで

 

毎日一句を選び、その句を鑑賞されて。

 

1月15日、小正月にあげてくださいました。

 

生前にご許可をいただいていますのでこちらに。

 

 

 

 

鬱きざす頭蓋に散らす花骨牌

                           山本 掌

語は「花骨牌(はなかるた)・歌留多」で新年。

 

今日は小正月、女正月だから、

昔であれば「歌留多」遊びに興じる人々もあったろう。

いまでも競技会は盛んなようだが、

一般の遊びとしてはすっかり廃れてしまった。

ただし、句の花骨牌は花札のことで、百人一首の札などではない。

人によりけりではあろうが、句のように

「鬱(うつ)きざす」感覚は私にも確かにある。

さしたる理由もなく、気持ちがなんとなくふさいでくるのだ。

落ち込んでも仕方がないとわかってはいるけれど、

ずるずると暗い気分に傾いていく。

こうなると、止めようがない。

その兆しのところで、作者は「頭蓋」に花骨牌を散らせた。

一種の心象風景であるが、

百人一首や西洋のカード類ではなく、

花骨牌を散らすイメージそれ自体が、

既にして「鬱」の兆候を示している。

花札は賭博と結びついてきた 陰湿な色合いが濃いので、

花や鳥や月といった本来は明るい絵柄が、

逆に人の心の暗さを喚起するからだろう。

べつに鬱ではなくても、

花札にあまり明るさを感じないのはそのせいだと思われる。

しかしこの情景は単に暗いのではなく、

どこかに救いも見えるのであって、

それはやはり花や鳥や月本来の明るさによるものではあるまいか。

頭蓋に散っている絵札のすべてが、

裏返しにはなっているのではない。

そこには本来の花もあれば、鳥や月が見えてもいる。

だから、暗いけど明るい。

明るいけど暗いのである。

花札の印象をよく特徴づけたことで、

句に不思議な抒情性がそなわった。

 

 

     山本 掌『漆黒の翼』(2003)所収。