「甲斐荘楠音の全貌―絵画、演劇、映画を越境する個性」開催のお知らせ! @東京ステーシギャラリー | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この凄艶な女性をご覧ください。

 

甲斐荘楠音(かいのしょう ただおと)、

 

「でろり」の画家、

 

「穢い絵」とも言われたことも。

 

 

「甲斐荘楠音の全貌―絵画、演劇、映画を越境する個性」

 

7月1日~8月27日、

 

東京ステーションギャラリーで開催されています。

 

 

 

2年前のブログでの甲斐荘楠音を、どうぞ。

 

 

甲斐庄楠音(かいのしょうただおと 1894-1978年)、

まさに大正デカダンの日本画家。

最近では「妖しい絵」展で数点展示されたよう。

なぜかここ最近、楠音の絵が、

あらわれて脳裏に棲みついたかのよう。




「甲斐庄楠音展―謎の出合い・今甦る大正デカダンス―」

この展覧会、まだセゾン美術館のできる前、

西武アート・フォーラム(西武池袋店8階)
  
1987/9/5 - 1987/9/16のことでした。

あまりに人間・女の<存在>そのものを抉りだす

画、その筆力に圧倒されました。

 

 

 

 







その展覧会の時購入したのが、この本。

栗田勇『女人賛歌 甲斐庄楠音の生涯』1987年 新潮社



その帯文を。

“穢い絵ではいかんのか

異色画家が放った日本画壇への一撃”(帯文)


“美しい絵だけが絵なのか?

甲斐庄楠音の忘れ去られていた作品群は、我々を根底からえぐる。

不条理な肉体存在である人間を見据える冷徹な眼差しが、そこにはある。

その厳しさゆえ、一度画壇注視の人となりながら、

大正十五年作「女と風船」で楠音は“穢い絵”の烙印をおされた。

その日以来、画家は穢い絵で綺麗な絵に打ち勝たねばならぬ

と胸中深く刻み込む。しかし……”(帯裏紹介文)


目次:
序章 謎の出逢い
 一枚の絵/「七つの悪霊の棲む女/灼熱の情念を

第一章 生い立ち
 楠正成の末裔/母親似の少年/幼時の思い出/一篇の短篇小説/
  村山龍平を中心に/皇女和宮の遺品/明治の末の京都/非凡な目

第二章 華々しいデビュー
 青春/画壇にデビュー/京の若い日本画家たち

第三章 「横櫛」の反響
  第一回国画創作協会展/天才グループに可愛がられる/
  デビュー作「横櫛」/村上華岳、国展から去る

第四章 穢い絵か美しい絵か
  穢い絵事件

第五章 女とモデル
 汚辱を背負って女を描く/モデルと女/入賞のいきさつ/
 そろって落選する/竹内栖鳳の女性モデル/村上華岳の「裸婦図」
 同性愛なればこそ……/舞妓と麦僊/女の側に立って眺める/
 “愛する者”を奪われる/しみじみとした京の暮らし/戦争で絵筆を断つ

第六章 映画界のカイさん
  映画界への転身/溝口グループの生活/二人の女人讃歌/
 「旗本退屈男」の衣裳

第七章 山賊会
 「山賊会」のこと/水谷八重子の画帖/隠れた仲間たち

第八章 最後の展覧会
  八十二歳の回顧展/「絵描きに絵を裁かれる」/虹のかけ橋

終章 壮絶な遺作
 最後の未完の遺作「畜生塚」/色彩のないドラマ/
 日本画と洋画の接点/官能的芸術家の最期}
 

 

 

 

 

 

京都展のチラシ