前橋空襲、77年前の今日 8月5日! (記憶をつなぐよう再掲いたします) | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

 

 

 

 

 

 

 

 

前橋空襲のあとの焦土

 

 

 

 

 

「前橋空襲昭和20(1945)年8月5日

午後10時30分、市内4ヶ所に投下された

照明弾で空襲が開始され、

米B29爆撃機92機により

焼夷弾 691トン・破砕弾 17.6トンが投下され、

被災面積は全市の22%、

被災戸数は全市の55%、

 

被災人口は全市の65%に及んだ」。

と記録にはあります。



ほぼ全市が焼き尽くされ、

「前橋駅から赤城山までまったくなにもなかった・・・」と

母や祖母から聞いています。

家も全焼、母たちは近くの水路に、

 

一晩中つかり、

「どうにか、命は助かった・・・」と。

前橋には水路が縦横に走っています。

いまでは暗渠になっているものも。

 

 

 



<この5日の夜半から豪雨になり翌朝まで続いた。

空襲の大火災による気象の変化によるもの>

死者 535人(700名という記録も有る)。

 

 

 

 

空襲を免れたのは県庁の付近、

 

臨江閣、

 

萩原朔太郎の書斎、土蔵、座敷、

 

朔太郎の数々の詩稿など貴重なものが残りました。

 

 

 

 

 

 

 

デパート「麻屋」付近