「証言・昭和の俳句」 上下 角川選書 2002年刊
聞き手・黒田杏子
<昭和の俳句>を
13人の俳人によって語られる
貴重な証言。
<戦前、戦中に青春時代を過ごし、
昭和の歩みに自らの歩みを重ねてきた俳人>
一人称によって語られるので、
その<生>の言葉が、肉声が、
なまなましく、
礫のように飛び込んでくる。
聞き手は俳人の黒田杏子さん。
この証言、
各俳人の自選50句
プロフィールが載って。
上巻
第1章 桂信子
第2章 鈴木六林男
第3章 草間時彦
第4章 金子兜太
第5章 成田千空
第6章 古舘曹人
下巻
第7章 津田清子
第8章 古沢太穂
第9章 沢木欣一
第10章 佐藤鬼房
第11章 中村苑子
第12章 深見けん二
第13章 三橋敏雄
金子兜太の発言を引用いたします。
金子先生は」終生、言い続けておられました。
「おまえのいままで七十九年間の生涯の代表句は何だ」と問われたら、
〈水脈の果炎天の墓碑を置きて去る〉という、
トラック島から引き揚げるときの、あの句と答えます。
私にとってはあのときの非業の死者、
戦争に対する志も何ももたないで
引っ張って来られた大勢の兵隊や工員たちが、
食い物がなくなって飢え死にする。
しかもアメリカは毎日やって来て爆撃したり銃撃したりする。
それによって死ぬ。
そういう人たちを見ていて、この人たちのために、
つまりこういう人たちが出ないような世の中にしなければいけない、
と考えるようになったんですね。
「非業の死者に報いる」という言い方をする。
反戦という考え方に繋がりますね。
そういう考え方でずっと戦後をやってきたつもりです。」