甲斐庄楠音(かいのしょうただおと 1894-1978年)、
まさに大正デカダンの日本画家。
最近では「あやしい絵」展で数点展示されたよう。
なぜかここ最近、楠音の絵が、
あらわれて脳裏に棲みついたかのよう。
「甲斐庄楠音展―謎の出合い・今甦る大正デカダンス―」
この展覧会、まだセゾン美術館のできる前、
西武アート・フォーラム(西武池袋店8階)
1987/9/5 - 1987/9/16のことでした。
あまりに人間・女の<存在>そのものを抉りだす
画、その筆力に圧倒されました。
◆動画「甲斐庄楠音」NHK新日曜美術館
https://www.bing.com/videos/search?q=%e7%94%b2%e6%96%90%e5%ba%84%e6%a5%a0%e9%9f%b3&&view=detail&mid=C85ABB99FCA9E6633B6EC85ABB99FCA9E6633B6E&&FORM=VRDGAR&ru=%2Fvideos%2Fsearch%3Fq%3D%25e7%2594%25b2%25e6%2596%2590%25e5%25ba%2584%25e6%25a5%25a0%25e9%259f%25b3%26qpvt%3D%25e7%2594%25b2%25e6%2596%2590%25e5%25ba%2584%25e6%25a5%25a0%25e9%259f%25b3%26FORM%3DVDRE
その展覧会の時購入したのが、
栗田勇『女人賛歌 甲斐庄楠音の生涯』1987年 新潮社
その帯文を。
“穢い絵ではいかんのか
異色画家が放った日本画壇への一撃”(帯文)
“美しい絵だけが絵なのか?
甲斐庄楠音の忘れ去られていた作品群は、我々を根底からえぐる。
不条理な肉体存在である人間を見据える冷徹な眼差しが、そこにはある。
その厳しさゆえ、一度画壇注視の人となりながら、
大正十五年作「女と風船」で楠音は“穢い絵”の烙印をおされた。
その日以来、画家は穢い絵で綺麗な絵に打ち勝たねばならぬ
と胸中深く刻み込む。しかし……”(帯裏紹介文)
目次:
序章 謎の出逢い
一枚の絵/「七つの悪霊の棲む女/灼熱の情念を
第一章 生い立ち
楠正成の末裔/母親似の少年/幼時の思い出/一篇の短篇小説/
村山龍平を中心に/皇女和宮の遺品/明治の末の京都/非凡な目
第二章 華々しいデビュー
青春/画壇にデビュー/京の若い日本画家たち
第三章 「横櫛」の反響
第一回国画創作協会展/天才グループに可愛がられる/
デビュー作「横櫛」/村上華岳、国展から去る
第四章 穢い絵か美しい絵か
穢い絵事件
第五章 女とモデル
汚辱を背負って女を描く/モデルと女/入賞のいきさつ/
そろって落選する/竹内栖鳳の女性モデル/村上華岳の「裸婦図」
同性愛なればこそ……/舞妓と麦僊/女の側に立って眺める/
“愛する者”を奪われる/しみじみとした京の暮らし/戦争で絵筆を断つ
第六章 映画界のカイさん
映画界への転身/溝口グループの生活/二人の女人讃歌/
「旗本退屈男」の衣裳
第七章 山賊会
「山賊会」のこと/水谷八重子の画帖/隠れた仲間たち
第八章 最後の展覧会
八十二歳の回顧展/「絵描きに絵を裁かれる」/虹のかけ橋
終章 壮絶な遺作
最後の未完の遺作「畜生塚」/色彩のないドラマ/
日本画と洋画の接点/官能的芸術家の最期}
◆甲斐庄楠音の画像
https://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=150352