「俳句をうたう」エッセイを、俳句誌「海原」に♪ 2020年5月号に掲載 | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俳句をうたう」、

このエッセイ「海原」2020年5月号に掲載されました。

これまで取り組んできた<俳句をうたう>、

ぎゅっぎゅとコンパクトに。

「海原」は金子兜太主宰誌「海程」の後続誌です。

()表記になっているのはすべてルビです。



   俳句をうたう
                          山本 掌



「あなた、俳句を歌ってみない」と、声楽の師。

第一句集『銀(しろがね)の』を上梓したおりのこと。

オペラ、フランス歌曲(仏語詩の声楽歌曲)を歌っていたころで、

俳句を書くことと歌はまったく別の表現(こと)、」

と思い込んでいたので、「???」。

初めに取り組んだのは箕作(みつくり)秋吉作曲「芭蕉紀行集」。

芭蕉の「日の光」「荒海や」など十句を連作にしたもの。

ほぼ一曲一分ほどの短い曲のなんと緻密で濃厚なことか。

その後、私の大切なレパートリーに。

 すっかり俳句歌曲に魅せられ、俳句の曲を探すが、とても少ない。

そんなおりギタリストで作曲家との出会いがあり、

兜太句、自作を曲にして、ギターと歌う

「花唱風弦(かしょうふうげん) 俳句をうたう」を創り、

世界詩人会議日本大会のオープニングや

兜太先生が駆けつけてくださった旧奏楽堂でのリサイタルなど、

思い出深い。



 俳句は五七五十七音の最短定型。

そのことばの密度は深く濃い。

歌ってゆくうちに俳句は朗唱や歌には適さない定型なのでは……と。



すでに完成された<俳句>を作曲する。

そこにすでに<読み>があり、

そこから句をどのように受けとり鑑賞し、

<音>の時間・空間に立ち上がらせるか。

 歌い手はその楽譜をじっくり読み込み、

作曲家の求める世界を探り、音の高さ、長さ、

色合いを自身の身体(しんたい)をとおして、

楽音を、声を響かせてゆく。

初めに俳句・ことばからの、

第二に作曲・音からの<読み>を歌うために

どれほど<内>のエネルギーを要求されることか。

俳句はいかに凝縮された宇宙であるかを知った。

 

 

 

 







 <うたい語る「おくのほそ道」>へ。

ある日、「おくのほそ道」を

舞台作品にできないだろうか…と思い立ち、

それからはもうもう試行錯誤の日日。

どの句を歌い、どこを語り、どのように音を入れるか。

「おくのほそ道」を四つに分け、旅立ちから遊行柳、

松島から平泉、最上川から象潟、市振から大垣、として構成。

句をメゾソプラノが歌い、紀行文を原文で語る。

ピアノは歌曲の伴奏、叙景を描く。

その句にあった曲をと、

連句仲間でもある現代音楽の作曲家に委嘱する。

無調や変拍子の大曲、難曲が書き下ろされ、

時間をかけ、少しづつ舞台作品としてみえてくるこの「おくのほそ道」。

メゾソプラノ、語り手、ピアニスト、作曲家を

畏れ多くも「芭蕉座」と命名して公演を催し、

その上演ごとに「ここをこうしよう、ああもしたい」と手を入れ、

四者四様の芭蕉観、俳句の読み、

音へのこだわりがぶつかりあう稽古は喧々諤々。     

苦しくも愉しい。

作品化へはまだまだの道のり、

つねに<過程>あるこの「おくのほそ道」、

創り続けていけたら、と願っている。