「俳句をうたう」
このエッセイを「海原」5月号に寄稿しました。
これまで取り組んできた<俳句をうたう>、
ぎゅっぎゅとコンパクトに。
「海原」は金子兜太主宰誌「海程」の後続誌です。
()表記になっているのはすべてルビです。
俳句をうたう
山本 掌
「あなた、俳句を歌ってみない」と、声楽の師。
第一句集『銀(しろがね)の』を上梓したおりのこと。
オペラ、フランス歌曲(仏語詩の声楽歌曲)を歌っていたころで、
俳句を書くことと歌はまったく別の表現(こと)、」
と思い込んでいたので、「???」。
初めに取り組んだのは
箕作(みつくり)秋吉作曲「芭蕉紀行集」。
芭蕉の「日の光」「荒海や」など
十句を連作にしたもの。
ほぼ一曲一分ほどの短い曲の
なんと緻密で濃厚なことか。
その後、私の大切なレパートリーに。
すっかり俳句歌曲に魅せられ、
俳句の曲を探すが、とても少ない。
そんなおりギタリストで作曲家との出会いがあり、
兜太句、自作を曲にして、ギターと歌う
「花唱風弦(かしょうふうげん) 俳句をうたう」を創り、
世界詩人会議日本大会のオープニングや
兜太先生が駆けつけてくださった
旧奏楽堂でのリサイタルなど、
思い出深い。
俳句は五七五十七音の最短定型。
そのことばの密度は深く濃い。
歌ってゆくうちに俳句は朗唱や歌には
適さない定型なのでは……と。
すでに完成された<俳句>を作曲する。
そこにすでに<読み>があり、
そこから句をどのように受けとり鑑賞し、
<音>の時間・空間に立ち上がらせるか。
歌い手はその楽譜をじっくり読み込み、
作曲家の求める世界を探り、音の高さ、長さ、
色合いを自身の身体(しんたい)をとおして、
楽音を、声を響かせてゆく。
初めに俳句・ことばからの、
第二に作曲・音からの<読み>を歌うために
どれほど<内>のエネルギーを要求されることか。
俳句はいかに凝縮された宇宙であるかを知った。
<うたい語る「おくのほそ道」>へ。
ある日、「おくのほそ道」を
舞台作品にできないだろうか…と思い立ち、
それからはもうもう試行錯誤の日日。
どの句を歌い、どこを語り、どのように音を入れるか。
「おくのほそ道」を四つに分け、
旅立ちから遊行柳、
松島から平泉、最上川から象潟、
市振から大垣、として構成。
句をメゾソプラノが歌い、紀行文を原文で語る。
ピアノは歌曲の伴奏、叙景を描く。
その句にあった曲をと、
連句仲間でもある現代音楽の作曲家に委嘱する。
無調や変拍子の大曲、難曲が書き下ろされ、
時間をかけ、少しづつ舞台作品として
みえてくるこの「おくのほそ道」。
メゾソプラノ、語り手、ピアニスト、作曲家を
畏れ多くも「芭蕉座」と命名して公演を催し、
その上演ごとに
「ここをこうしよう、ああもしたい」と手を入れ、
四者四様の芭蕉観、俳句の読み、
音へのこだわりが
ぶつかりあう稽古は喧々諤々。
苦しくも愉しい。
作品化へはまだまだの道のり、
つねに<過程>あるこの「おくのほそ道」、
創り続けていけたら、と願っている。