「カメラマン萩原朔太郎は何を見たか」萩原朔美が語る、朔太郎の撮影写真 @前橋文学館 | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

萩原朔太郎、写真にエネルギーをそそいでいました。

写真の撮影さらに当時先端の「立体写真」も

たくさん残しています。

 

これらの撮影写真は前橋文学館の所蔵。



そのカメラマン朔太郎を、朔太郎の写真を

孫の映像作家でもある萩原朔美さんが

読み解く講座がかつて

前橋文学館で催されました。

2011年(9年前⁉)

 

いまでも印象深く記憶されています。

 

 

 

 






「カメラマン萩原朔太郎は何を見たか」
萩原朔美が語る、祖父・朔太郎の撮影写真


萩原朔太郎記念 前橋文学館のアートステージの催し、


今回が百回目となる。


映像作家でもある孫の朔美氏による

 

朔太郎の写真を


読み解き。


朔美氏は近年ますます朔太郎に似てきた、よう。


朔太郎はマンドリンでは楽団を組織し、


カメラも本格的にやり、立体写真も残されている。


ガラス甲板なので、劣化している部分もあるということだが、


今回数多くの写真を見ることができた。



朔太郎の写真の特色があると朔美氏はいう。


・誰もいない


・坂道


・画面の左側に<もの>が置かれている



人物はいても後ろ向きであったり、


正面をむいていても、そこに焦点があたっていない。


撮りたいのは水の動きであったり、


取り壊される家であったり、


坂道が多いが道だけがそこに投げ出されている。



ピクトリアリズムで、画面をぼかして焼いたり、


あきらかに影を額縁として演出をしている、と。


左側にものを置く。


大きな樹であったり、電柱であったり


1枚右に人物がいる場合でも、


この写真を本に入れるときは反転させている。


これについての朔美氏は

 

たとえば本にする場合に


文章を右に置くため、ではないかと指摘。


朔太郎の詩とも底通する心象風景、

 

寂しい、

 

メランコリアの気質を感じる、と。



「過去はいつでも新しい、


未来派すでに懐かしい」


ある学者の「近代詩人は『坂道の住人である』、


すでに永遠から隔てられている。下降意識のなかにある」



あるいは「すべての写真は遺影である」


写真は演劇にちかい。


<死>とむすびつけられている。



などなど示唆にとむ充実した講演。

会場には詩人の鈴木志郎康氏もみえて。




 

影を額縁のように使った写真

 

(前橋公園のトンネル)