萩原朔太郎の<春> 「萩原朔太郎を朗読する」 | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

萩原朔太郎、

春、

こう言葉がならび、

 

かすかな違和感、

あるいは形容矛盾(?)

のよう気がするのは、なぜでしょう。



朔太郎の「春」は欠伸をし、

「蛤」は<腐って、憔悴(やつ)れ>ています。

二篇とも『月に吠える』。



    陽春 
                        萩原朔太郎


ああ、春は遠くからけぶつて来る、

ぽっくりふくらんだ柳の芽のしたに、

やさしいくちびるをさしよせ、

おとめのくちづけを吸ひこみたさに、

春は遠くからごむ輪のくるまにのつて来る。

ぼんやりした景色のなかで、

白いくるまやさんの足はいそげども

ゆくゆく車輪がさかさにまわり、

しだに梶棒が地面をはなれ出し、

おまけにお客さまの腰がへんにふらふらとして、

これではとてもあぶなそうなと、

とんでもない時に春がまつしろの欠伸をする。





   くさった蛤


半身は砂のなかにうもれゐて、

それで居てべろべろ舌を出して居る。

この軟體動物のあたまの上には、

砂利や潮みづが、ざら、ざら、ざら、ざら流れてゐる、

ながれてゐる、

ああ夢のようにしづかにもながれてゐる。


ながれてゆく砂と砂との隙間から、

蛤はまた舌べろをちらちら赤くもえいづる、

この蛤は非常に憔悴(やつ)れてゐるのである。

みればぐにやぐにやした内臓がくさりかかつて

 

居るらしい、

それゆゑ哀しげな晩かたになると、

青ざめた海岸に座つていて、

ちら、ちら、ちら、ちらとくさつた息をするのですよ。

 

 

 

 

 

萩原朔太郎『月に吠える』