萩原朔太郎『月に吠える』
1917年発行。
このとき朔太郎31歳。
その詩集の<月に吠える>犬、
あるいは犬の影、を書いた詩、
「見知らぬ犬」、「悲しい月夜」を朗読いたします。
見知らぬ犬
萩原朔太郎
この見もしらぬ犬がわたしのあとをついてくる、
みすぼらしい、後足でびっこをひいてゐる不具(かたわ)の
犬のかげだ。
ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
わたしのゆく道路の方角では、
長屋の屋根がべらべらと風にふかれてゐる、
道ばたの陰気な空地では、
ひからびた草の葉つぱがしなしなと
ほそくうごいて居る。
ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、
おほきないきもののやうな月が、
ぼんやりと行手に浮んでゐる。
そうして背後(うしろ)のさびしい往来では、
犬のほそながい尻尾の先が
地べたの上をひきづつて居る。
ああ、どこまでも、どこまでも、
この見もしらぬ犬がわたしのあとをついてくる、
きたならしい地べたを這いまはつて、
わたしの背後(うしろ)で後足をひきづつている
病気の犬だ、
とほく、ながく、かなしげにおびえながら、
さびしい空の月に向つて遠白く吠える
ふしあわせの犬のかげだ。