萩原朔太郎「大渡橋(おおわたりばし)@『純情小曲集』 | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

朔太郎




大渡橋(おおわたりばし)は、
前橋市の市街から総社(今は前橋市)へゆく
利根川に架かる橋で、
日本百名橋に選ばれたとか。


現 大渡橋

               現在の3代目の大渡橋



左岸側には萩原朔太郎の詩碑、
右岸側には緑地がある。

1921年(大正10年)初代となる
大渡橋(長さ504m三連鋼曲弦トラス橋)が架けられ、
朔太郎の第四詩集『郷土望郷詩』に詩「大渡橋」が載る。

朔太郎は写真撮影にも熱心に取り組み、
この「トラス構造」の大渡橋の鉄骨をメインにした
仰角で撮っている写真がじつにモダン。


トラス構造 大渡橋

           トラス構造の朔太郎の時代の大渡橋
   
    
       

     <大渡橋>
                   萩原朔太郎



ここに長き橋の架したるは

かのさびしき惣社の村より 直ちよくとして前橋の町に通ずるならん。

われここを渡りて荒寥たる情緒の過ぐるを知れり

往くものは荷物を積み車に馬を曳きたり

あわただしき自轉車かな

われこの長き橋を渡るときに

薄暮の飢ゑたる感情は苦しくせり。

ああ故郷にありてゆかず

鹽のごとくにしみる憂患の痛みをつくせり

すでに孤獨の中に老いんとす

いかなれば今日の烈しき痛恨の怒りを語らん

いまわがまづしき書物を破り

過ぎゆく利根川の水にいつさいのものを捨てんとす。

われは狼のごとく飢ゑたり

しきりに欄干らんかんにすがりて齒を噛めども

せんかたなしや 涙のごときもの溢れ出で

頬ほにつたひ流れてやまず

ああ我れはもと卑陋なり。

往ゆくものは荷物を積みて馬を曳き

このすべて寒き日の 平野の空は暮れんとす。






◆前橋の詩碑 「大渡橋」
   

「大渡橋」詩碑



碑文左側には、『最初の大渡橋は大正十年十一月に開通した。
長さ五〇〇メートル(「総社町誌」より)。
利根川に架かる橋としては超大橋のひとつであった。
完成後間もない冬の日、萩原朔太郎はここを訪れ、
自らカメラに橋の景観を撮影し、詩「大渡橋」を書いた。
二十行にわたる詩は郷土望景詩と名付けられ、
詩人の第四詩集「純情小曲集」に収録されたが、
自註として右の一文を付した。
萩原朔太郎がこの橋に寄せた思いをここに忍ぶ。
昭和五十八年一月萩原朔太郎研究会 記』と記されている。


「大渡橋」碑文


碑文右側には、「郷土望景詩の後に」の
「大渡橋おほわたりばしは前橋の北部、
利根川の上流に架したり。
鐵橋にして長さ半哩にもわたるべし。
前橋より橋を渡りて、群馬郡のさびしき村落に出づ。
目をやればその盡くる果を知らず。
冬の日空に輝やきて、無限にかなしき橋なり」。