大渡橋(おおわたりばし)は、
前橋市の市街から総社(今は前橋市)へゆく
利根川に架かる橋で、
日本百名橋に選ばれたとか。
現在の3代目の大渡橋
左岸側には萩原朔太郎の詩碑、
右岸側には緑地がある。
1921年(大正10年)初代となる
大渡橋(長さ504m三連鋼曲弦トラス橋)が架けられ、
朔太郎の第四詩集『郷土望郷詩』に詩「大渡橋」が載る。
朔太郎は写真撮影にも熱心に取り組み、
この「トラス構造」の大渡橋の鉄骨をメインにした
仰角で撮っている写真がじつにモダン。
トラス構造の朔太郎の時代の大渡橋
<大渡橋>
萩原朔太郎
ここに長き橋の架したるは
かのさびしき惣社の村より 直ちよくとして前橋の町に通ずるならん。
われここを渡りて荒寥たる情緒の過ぐるを知れり
往くものは荷物を積み車に馬を曳きたり
あわただしき自轉車かな
われこの長き橋を渡るときに
薄暮の飢ゑたる感情は苦しくせり。
ああ故郷にありてゆかず
鹽のごとくにしみる憂患の痛みをつくせり
すでに孤獨の中に老いんとす
いかなれば今日の烈しき痛恨の怒りを語らん
いまわがまづしき書物を破り
過ぎゆく利根川の水にいつさいのものを捨てんとす。
われは狼のごとく飢ゑたり
しきりに欄干らんかんにすがりて齒を噛めども
せんかたなしや 涙のごときもの溢れ出で
頬ほにつたひ流れてやまず
ああ我れはもと卑陋なり。
往ゆくものは荷物を積みて馬を曳き
このすべて寒き日の 平野の空は暮れんとす。
◆前橋の詩碑 「大渡橋」
碑文左側には、『最初の大渡橋は大正十年十一月に開通した。
長さ五〇〇メートル(「総社町誌」より)。
利根川に架かる橋としては超大橋のひとつであった。
完成後間もない冬の日、萩原朔太郎はここを訪れ、
自らカメラに橋の景観を撮影し、詩「大渡橋」を書いた。
二十行にわたる詩は郷土望景詩と名付けられ、
詩人の第四詩集「純情小曲集」に収録されたが、
自註として右の一文を付した。
萩原朔太郎がこの橋に寄せた思いをここに忍ぶ。
昭和五十八年一月萩原朔太郎研究会 記』と記されている。

碑文右側には、「郷土望景詩の後に」の
「大渡橋おほわたりばしは前橋の北部、
利根川の上流に架したり。
鐵橋にして長さ半哩にもわたるべし。
前橋より橋を渡りて、群馬郡のさびしき村落に出づ。
目をやればその盡くる果を知らず。
冬の日空に輝やきて、無限にかなしき橋なり」。