前橋刑務所 萩原朔太郎「監獄の裏の林」 | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

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前橋刑務所、レンガの塀が延々と続く。

おもむきのある建物。

塀とその正面。


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かつては「前橋監獄」。

萩原朔太郎の郷土望景詩に「監獄裏の林」としてある。

この監獄ができたころは前橋の郊外。

いまでは街の中、まわりは住宅地。

家からも近い。

なにより私が通った中学はすぐ隣り。

当時は刑務所の畑で作業する人たちが

ふつうに見えていたりした(!?)。

一部は明治村へ。

前橋の大空襲にも焼けず、

全国でも残っているめずらしい建造物。



  <監獄裏の林>      萩原朔太郎

監獄裏の林に入れば

囀鳥高きにしば鳴けり。

いかんぞ我れの思ふこと

ひとり叛きて歩める道を

寂しき友にも告げざらんや。

河原に冬の枯草もえ

重たき石を運ぶ囚人等

みな憎さげに我れを見て過ぎ行けり。

暗鬱なる思想かな

われの破れたる服を裂きすて

獸類けもののごとくに悲しまむ。

ああ季節に遲く

上州の空の烈風に寒きは何ぞや。

まばらに殘る林の中に

看守の居て

劍柄づかの低く鳴るを聽けり。

               ――郷土望景詩――






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1888年(明治21年) 前橋監獄として
東群馬郡宗甫分村(1889年に同郡前橋町に合併)の現在地に開設。
開設時から1889年(明治22年)にかけ、レンガ積みの塀が整備された。

1922年(大正11年) 10月、前橋刑務所に改称。

1945年(昭和20年) 8月5日、
アメリカ軍の前橋空襲により被災、
刑務所職員および受刑者39名が死亡。

勢多郡宮城村(現・前橋市苗ヶ島町)に付属施設「赤城農場」を開設、
初犯者や短期収容者を収容して農作業等を課した(1986年閉鎖)。



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<市街地への立地と煉瓦塀>

群馬県庁本庁舎・前橋市役所本庁舎から南方へ2km弱、
利根川東岸間際に位置し、北方を両毛線が通過する。

歴史の古い刑務所であり、
明治時代の開設時こそ市街地から離れた場所であったが、
その後の都市化進行によって西側の利根川を除く
三方を住宅地に囲まれる状態となっている。

1960年の参議院委員会答弁でも既に著しい老朽化と
市街地立地の状況が認識され、
早くから移転が取り沙汰されていたが実現することなく、
収容能力の逼迫に伴い、
現在地での収容棟新築などが進められた。

2009年時点でも市街地内の広大な1ブロックを占めたまま
現在地に存続する。

1888年建設で木造の旧・雑居房は、
骨格こそ洋式の手法を取り入れながら
日本家屋のような瓦屋根の外観と
日本式の監房を備える過渡期の建築であり、
現在は博物館明治村に縮小移築されている。

建設時の全体レイアウトは監視塔を中心に
4棟の獄舎が放射状に配置されるという、
当時アメリカで研究されていた刑務所構造を
取り入れた先駆例であった。

外堀に囲まれた赤煉瓦の
正門・外壁は開設当初からのもので、
細やかな部分に意匠が凝らされ、
地元出身の詩人・萩原朔太郎の詩の題材ともなった。

旧・網走監獄と並んで、
古典的な「監獄」のイメージに相応しい外観や、
かつて長期受刑者の収容先として知られた歴史などを
併せ持ったことで、
映画のロケーションなどにも多用されている。

部分改築を受けつつも築造後120年に渡り供用されており、
群馬県近代化遺産に指定されている。
                    ウキペディアより