コンサートが近づいて、きましたので、
歌う曲について。作曲家から、どうぞ。
◆石桁 眞禮生、いしけた まれお
(1916年11月26日 - 1996年8月22日)日本の作曲家。
<石桁歌曲への貴重な挑戦>(萩原道彦 ライナーノーツより)
滝廉大部、山田耕筰らの先人たちによって切り拓かれた
日本の芸術歌曲は、約100年の歴史の中でさまざまの展開をみせたが、
その中でも石桁真礼生の歌曲は際立った特色を持ち、
その作風はどの山脈にも属さずに屹立する独立峰の
厳しさを思わせるものがある。
それだけに、演奏者にとって、また聴く側にとっても、
よく「石桁歌曲はむずかしい」、という声がきかれる。
確かに気軽に口ずさめる歌ではないし、
うっとりした気分にひたれる曲でもない。
それは、耳になじんだ、懐しの日本名歌とは全く別の世界なのである。
石桁氏は、歌曲の作曲について「詩を読んで共感を得る。
繰り返し読むうちに感動に高まり、
それらは私の心の中に定着し発酵する。
やがて、それらはその投影作用を強め、
私の音楽として萌芽し、成長する。
もうこの時点では、私の音楽は主体性を確立する。
詩に音楽をつける、といった次元を越えているのだ。
そして私はこれを仕上げる。」と述べている。
そして、彼の代表作というべき「鴉」は、
最初に作曲の意欲を感じてから仕上げるまでに、
実に数年間の葛藤があったといわれる。
このような歌曲の演奏には、歌い手はもとより
共演するピアニストにも、詩と音楽に対する深い、
洞察が求められる。
機械的な正確さだけでは歌にならず、
美声だけでは本質に迫れない。
しかも彼の曲には、情緒過剰、芝居過剰を許さぬ
”男の美学”ともいうべき厳しい、潔癖さがある。
◆石桁真礼生 プロフィール
東京音楽学校で下総皖一に師事。
1943年の第12回音楽コンクールに「小交響曲」で入賞。
グループ新声会に参加。
ドイツ古典派に規範をおく作品を発表するが、
「箏のための協奏三章」(1951年)、
「箏のための組曲」(1952年)
などの現代邦楽にも手を染めていく。
やがて、無調や十二音技法に接近し、
三好達治の詩による歌曲「鴉」(1956年)や、
十二音を用いた日本最初のオペラとされる「卆塔婆小町」(1957年)、
「嬰ヘとハを基音とする交響曲」(1965年)などを生み出す。