司修さんに大仏次郎賞! | 「月球儀」&「芭蕉座」  俳句を書くメゾソプラノ山本 掌のブログ

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第四句集『月球儀』
「月球儀」俳句を支柱とした山本 掌の個人誌。

「芭蕉座」は芭蕉「おくのほそ道」を舞台作品とする
うた・語り・作曲・ピアノのユニット。
    



俳句を金子兜太に師事。「海程」同人・現代俳句協会会員。

「月球儀」の表紙を飾っていただいている、
司修さんに大仏次郎賞。
おめでとうございます。


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大佛次郎賞に司修さん「本の魔法」白水社  (朝日新聞の記事

ジャンルを問わず優れた散文作品に贈られる
第38回大佛次郎賞(朝日新聞社主催)は、
画家で作家の司修氏による、装幀(そうてい)をテーマにした
エッセー「本の魔法」(白水社)に決まった。
副賞は200万円。贈呈式は来年1月27日、
東京・内幸町の帝国ホテルで。

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「本の魔法」は2011年、群馬県立美術館で2ヵ月にわたる
絵本の原画の展覧会「司修のえものがたり展」の期間中に、
4冊の本を出版されたそのなかの1冊。

「司修のえものがたり」この展覧会のパンフレットでもある本

「100万羽のハト」絵・文 司修

「水墨 創世記」水墨:司修 訳:月本昭男

そしてエッセイ「本の魔法」を出版。
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%AD%94%E6%B3%95-%E5%8F%B8-%E4%BF%AE/dp/4560081433



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<飲んで、酔って、人間くさく>        朝日新聞7月

 表紙には、司さんが装丁した15冊の本の表紙が並んでいる。古井由吉『杳子・妻隠』から小川国夫『弱い神』まで、何百と手がけた装丁の中から15人の各1冊。武田泰淳、埴谷雄高、島尾敏雄、中上健次……戦後に一時代を画した作家、学者たちと時代を、装丁の仕事を通して語る。

 13人は故人である。エレベーターで見ただけの三島由紀夫以外、それなりに濃い付き合いを持った。

 「不思議に、人間くさい人たちにふれ合ってきたと思いますね」

 そう言う司さん自身、装丁に傾ける人間くさい熱量は半端でない。作家を読み込むのは当然のこと、作品の舞台をはるばる訪ね、あるいは対決するように肖像画を描き、そしてしたたかに酒を酌み交わす。

 「どうしてそんなに時間があったのか、と思うんですが、小川さんなんかわが家で飲んで、駅まで送って近くで飲んで、最終電車に乗り遅れてまたわが家へ、というのを3日くらい繰り返した」そうだ。

 『杳子~』などの担当だった故・飯田貴司さんら編集者とも大いに飲んだ。「編集者がいなければ、本になりません」。本が魔法をかけて人を酔わせ、動かすのである。そこに醸される空気が、なんとも熱い。

 「僕はアカデミックな勉強の土台がなく、自分のスタイルを作ってこなかったんです」と語る。なるほど表紙の15冊の絵は技法も題材もまことに多彩。しかしまた、どれも「司さんだ」と思わされずにいない。

 「人物のこと、出会った時のことなど書いているうち、何でこんなにと思うほど、全体としてつながっていった」。それも「本の魔法」の一つだろう。



[評者]川西 政明(文芸評論家)

■装幀を通し鍛えられた芸術
 司修は画家であり、銅版画家、写真家、装幀(そうてい)家、作家である。

 この書物は文壇史のようでもあり、回想記、装幀史、民衆史、自分史のようでもある。

 司は多芸多才な芸術家だが、装幀家として本を造ることを通して<芸と才>を鍛えてきたらしい。その過程とその深部を一つの証言としてわれわれは垣間見ることができる。

 最初の装幀本は古井由吉の『杳子(ようこ)・妻隠(つまごみ)』で、この装幀で司修ありきと認知された。幻想的な女でありながら少女でもあるような不思議な木がカバーには立っていた。一九七○年代の境で、三島由紀夫が自死し、高橋和巳が全共闘運動の渦中で斃(たお)れた時、文芸出版界は行き暮れた。その時、「文藝」編集長の寺田博が『杳子』に惚(ほ)れて「内向の世代」で行こうと決断した。寺田は暗い顔を俯(うつむ)けながら、その眼を妖しく輝かせていた。評者は寺田の横にいて、時代が変わるそんな瞬間を見ていた。その時代の変化の波に乗って<司修の時代>がやってきた。

 武田泰淳『富士』、島尾敏雄『死の棘(とげ)』、中上健次『岬』、森敦『月山』、三浦哲郎『白夜を旅する人々』、水上勉『寺泊』、小川国夫の作品集など錚々(そうそう)たる作品を眺めると、七○年代から八○年代の文芸の本の世界は、司修の手によって造られてきたのかと目を見張る。

 泰淳は肖像画を描く司修を前に照れくさいのを我慢して、缶ビールを何十本も飲み、煙草(たばこ)を何十本も吸いつづけながらモデルの役を果たした。

 国夫は飲みつづけ、歌いつづけた果て、「さあもう一軒」と叫ぶ。宴(うたげ)は果てることがない。

 敏雄、敦、勉、哲郎…作家たちが司修に与えた影響の大きさ、松谷みよ子、河合隼雄、網野善彦らから司が受けた恩恵の大きさもよく分かった。そしてこの本には司修の相棒だった編集者たちの姿も活写される。しかし、もう寺田博も飯田貴司もいやしない。




◆ 中嶋廣『本の魔法』

著者: 司修
出版社: 白水社
参考税込価格: 2,100円
ISBN-10: 4560081433
ISBN-13: 978-4560081433

今回は一冊の本の書評ではなく司修の仕事について書く。『本の魔法』は、15人の作家や詩人、学者の本をどんなふうに装丁したかという書き下ろしエッセイ。取り上げられる著者は古井由吉、武田泰淳、埴谷雄高、島尾敏雄、中上健次、江藤淳、三島由紀夫、森敦、真壁仁、河合隼雄、松谷みよ子、網野善彦、水上勉、小川国夫。このうち私は森敦さんから、「『月山』が今も読まれ続けるのは、一にかかって司さんの装丁のおかげなのです」という言葉を直接聞いた。

司修は澁澤龍彦の『黒魔術の手帖』などの装丁を1960年ごろから始め、その後、上記の作家たちや大江健三郎の主要作品、野坂昭如や向田邦子など多くの戦後文学者の装丁をしてきた。日本の戦後文学の顔はかなりの部分、この人が作ってきたのである。その装丁は現在の、多くは読者におもねった本作りとは全く違う。どれでもよいが一つというなら、武田泰淳『富士』。私は40年近く前、表紙を開き、見返しを見た瞬間、胸がつまり動けなくなった。

本書の15篇はジャンルとしてはエッセイだが、また優れた短篇小説・掌篇小説にもなっていて、文学空間というものがどのように零状態からビッグバンを起こして世界となるかが、強く実感されるように書かれている。ちなみに最後の小川国夫の章に描かれる、巨岩の下の波打ち際をゆっくり歩いてびしょ濡れになったNは、25年前の私である。

本書と全く同時に『水墨 創世記』(司修・画 月本明男・訳 岩波書店)が刊行された。カバーの発光するノアの方舟から少しずつページを繰っていくと、時の経つのを忘れ、気がつくと何時間もが過ぎている。その間、言葉が浮かばない。水墨と言われなければ私などには見当もつかない、64点の贅沢な画と、絶妙に配分されたテキスト。これほど美しい本は、今や存在するものではない。テキスト部分は各国語が入れられるから、これは世界的な出版事件になるだろう。

ちょっぴりルール違反ですが、ここから先の一段は宣伝です。上記2冊のひと月前に『司修のえものがたり』(トランスビュー)が刊行された。編集担当者は私。司さんの絵本原画のエッセンスを集成し、そこに角田光代、川上未映子、落合恵子、小池昌代、鴻池朋子のエッセイを配した。うつみ宮土理さんがブログで「すばらしい絵本に出合って 感動して涙が出た」と書いて下さった。(やっぱり自分が担当した本については恥ずかしいのでここまで。)

さらにそのほんの少し前に、司さんがテキストも書いた絵本『100万羽のハト』(偕成社)が出た。これは著者が、向田邦子さんから受け取った言葉を長い年月をかけて発酵させた、平和を実現させる知恵の本。大人が読んでも、というより大人が読んだのち、子供に手渡したい。

上記の4冊が出た2カ月の間、高崎の群馬県立近代美術館で、絵本原画を集めた大きな展覧会が開かれた(「司修のえものがたり」6月19日まで)。それは会場全体を猫の体内にして、画を子どもの高さに並べた、撮影自由、走り回ってよいという、まったく型破りな展覧会である。同時期に、京都と、東京都内2カ所(青山・国立)でも、異なるテーマで司修の展覧会が開かれた。

生きている天才には、なかなか出会うことができない。しかしこんなことが目の前で起こると、これは稀に、本当にごく稀に、その存在がはっきりと人の形をとって顕われ、でも、はにかみながら面を伏せ、微かに横顔を覗かせながら通り過ぎていくような気がする。