五反田でブランチの後、目黒川を見るとまだきれいな桜並木
日曜日の昼下がりお花見散歩をしてみました♪
のんびりした時の中 憧れていた休日の散歩 大好きな桜の気(木)の下で...
目黒川をのぞくと思っていた以上に大きな川
白くにごった水の上を一面の花絨毯 水の中からは不思議な泡がぷくぷく
少し暖かい初春の日差しの中
尊く強い暖かさに包まれて幸せを体中で感じていました(^'^)
日常の煩雑の中 本当に憧れていた
「ただお散歩をしたい。。。」
小さな小さな願いがかない、桜の木々と一瞬一体になれた気さえしました。
目黒駅に向って目黒川からそれ坂道を登ると、雅叙園が見え
「行人坂」の道案内
すごい急な坂でがんばって上っていくとなんとも不思議な雰囲気を漂わせている
お寺を発見「大円寺」とかかれてありました。
中に入るとその雰囲気の秘密ともいえるような圧巻!!
すごい数の石仏がずらーと並んでいる。
と呼ばれる石仏で明和9年(1772)行人坂の大火と呼ばれる
大火事の犠牲者を弔うために、50年以上の歳月をかけ作られたそう。
ひとつひとつ表情も異なり、中には赤子を抱いたお地蔵さんもいる(゜o゜)
この五百羅漢の隣には多分水子を祭ったお地蔵さんがあり、ここにも
赤い頭巾をかぶった小さなお地蔵さんがたくさん並んでいました。
また、ちょっとびっくりするようなお地蔵さんもあって溶けてるんです。
火事と連想してちょっと...と思いがちですが、
何でも悩みをとろけさせてくれる
とろけ地蔵さんとして信仰されているそうです。
その横にはお経が書かれた石像をまわすと
しゃりんしゃりん と鈴が鳴るチベットのマニ車のようなものがあり、これは
一回まわすとお経を一回唱えたことと同じになるって聞いたことがあります。
その音がまたなんともいえない音色を奏でてくれていました。
それにしてもこのお地蔵さん達...
久しぶりに感じたすごい雰囲気。怖いでもなく、暖かいでもなく
なんとも表現できない不思議な気がわぁんと出ていました。
甘茶を振舞っていただきました。
こちらも甘苦い不思議な味^^;でしたが、
奥に進むとご本尊の釈迦如来像を拝む事が出来ました。
如来像の前に小さな仏像があり、この仏像に先ほどの甘茶
をかけると良いとのことで、ひしゃくでみなさん甘茶...
仏様にかけていました。
大円寺の釈迦如来像は、建久4年(1193)に造られた
清涼寺式釈迦如来立像(高さ167センチ)と呼ばれるもので、
永観元年(983年)奈良東大寺の、僧奝然(ちょうねん)が宋に渡った時に、
天竺渡来の釈迦像を日本に持ち帰り、京都嵯峨のお堂(清涼寺)に安置したそうですが、
僧奝然(ちょうねん)が感動して日本に持ち帰ったほどの
清涼寺の釈迦像はその美しさに盛んに模刻されて、
この大円寺のほか、鎌倉の極楽寺などにも安置されているそうです。
しかも、この仏像の胎内には、
お経だけでなく、なんと人と同じように五臓がおさめられていたそうですが
大円寺の仏様にも女性の髪の毛や「白銅菊花双雀鏡」という鏡が
おさめられていて“生身の釈迦如来像”と呼ばれているそうです。
本当に本当に不思議な雰囲気の中、お寺を後にすると、
途中お寺についての説明書きを発見(゜o゜)
なんとこの大円寺あの「八百屋お七」のお地蔵さんも祀っているとか。
八百屋お七の話知ってますか?
お七と吉三は大火事の際避難所で偶然出会い恋をする。
その後お互いの家が復興し、離れ離れになってしまうが、お七は
吉三恋しさに、また火事になれば吉三に会えると火を放つ
町は大火事となり、お七は火あぶりの刑に。
あまりにも激しく幼い恋の結末。歌舞伎でも有名になりました。
胸を締め付けられるのは、残された吉三のその後。
吉三は出家し、西運と名乗り、お七の菩提(ぼだい)を弔うために、
目黒不動と浅草観音の往復10里の道を、1万日日参の悲願を立てた。
雨の日も風の日も、首から下げた鉦(しょう)をたたき、
念仏を唱えながら一万日日参しました。
行人坂を石畳に直し、目黒川に太鼓橋を架けたのもこの西運でした。
お七の愛し方、西運の愛し方...なんともいえない切ない気持ちに
なりますよね。行人坂を上りきる間、お七の話を思い出しながら、
愚かさとか切なさとか女性の性(さが)に五百羅漢の仏像たちの姿が浮かび
桜の花びら舞い散る中なんともいえない気持ちがこみ上げてきました。
恋って切なく、儚いから桜となんだか重なるんですよね(/_;)
五反田から目黒まで。たった一駅の散歩道
まるで、長ーい映画を見終わったようないろんな思いがふわっと沸いてきました。
本当に幸せなショートトリップでしたが、
意味あってお寺にも呼ばれていたのでしょうか?
桜の不思議な魅力を感じるお花見散歩でした。