このブログを始めた頃は、私もスピリチュアルな考えに興味を持っていました。

その頃は、「今ここ」とか「アセンション」とか「悟り」とか言う言葉が流行っていました。
現在はどうなのでしょう?

アセンションは何も起こらなかったし、まともに考えれば矛盾だらけのスピリチュアル・・・自分で考えるということをすれば、それに気づくと思います。


「今ここ」とか「思考停止」を金科玉条のようにしていましたが、それなら、動物たちがやっていますよね。

自然界の動物たちのように言葉や思考が存在しなかったら、現在の人類が満喫している快適な生活の体験はなかったでしょう。

森の中で、暑さと、虫の攻撃にさらされていたことでしょう。


人間には言葉があり、思考があります。

そして抽象概念があり、時間軸も抽象概念です。
もちろん、表現の自由としては「本当は時間なんて存在していない」という表現もありですが・・・


時間という存在があると考えたほうが便利なことがたくさんあります。
時間という概念がなかったら、未来に向けてビジョンを描くこともできず、進歩や発展はありません。


この時間という概念を利用することで、人間には創造するという行為が可能なのです。


過去を反省し、未来を考えることができるのは、思考をもっている人間だけです。


本当の思考を駆使する人々はあんまりいませんが、その思考を駆使した人々によって、世の中の文化的な生活が可能になりました。


もし、思考や、時間を否定するのであれば、裸で森に戻って原始の生活をしてみれば良いと思います。


この文明の恩恵を受けながら、スピリチュアルだと言って、言葉や、その概念である時間を否定するのは間違っていると思います。


人類の進歩のために、より改善のために、言葉を使って思考することが人間として大切なことではないでしょうか。


ごまかしの癒しより、徹底的に考えることによって、目覚めることが出来ると思います。


また意識は身体のないところには存在しません
素直に認めることはできないでしょうか。