生体は潜在意識そのものである。というのが私の考えです。
生体とは、生きている身体のことです。
固有の潜在意識は、その個体の死とともに消滅します。
意識とは生きている個体が外界の刺激に反応している様です。
その目的は、生き続けるためです。
本能と経験の記憶からの判断です。
その反応は元々は直感的なものでした。
本能的な反射と、経験による映像の記憶や、体感の記憶を直接呼び起こすことによって、即座に反応します。
ところが、人間の場合は、その間に、言葉という記憶を介在させるようになりました。
言葉というシンボルを介在させることによって思考というプロセスを踏むようになりました。
同じ思考を何度もしていると、それを省くようになります。
無意識の中に定着して信念化します。
このように言葉を介在させることによって、人間は文化を創造できるようになりました。
しかし、その反面、誤った思考が固定化し、信念化されることによっての弊害も生まれてきています。
ある人は、意識が肉体から独立して存在していると考えています。
これは誤りです。
スピリチュアルや唯心論的な考えです。
心も肉体も同時に存在するのです。
心は生きた肉体の働きであり、機能です。
心の働きを失った身体は、もはや死体です。
心の働きとは、言葉を持った人間では、感情の働きと思考の働きです。
生体の反応のもともとは、感情です。
言葉を介在させることによって、感情の他に思考が生まれました。
思考は言葉であり道具です。
ですから、思考を変えることによって感情を変えることができるのです。
心という言葉、感情という言葉、思考という言葉、魂という言葉、神という言葉・・・・
すべて言葉という道具の一部であり、たんにシンボルであり実体ではありません。
生命という実在があり、その機能の中に心の働きがあり、その命の実在が存在する限りにおいて心も実在となります。
命は潜在意識の働きを持っています。だから命です。
生きている命を離れて意識は存在しないというのが私の考えです。
あなたの意識は私の考えにどう反応しましたか?
生体とは、生きている身体のことです。
固有の潜在意識は、その個体の死とともに消滅します。
意識とは生きている個体が外界の刺激に反応している様です。
その目的は、生き続けるためです。
本能と経験の記憶からの判断です。
その反応は元々は直感的なものでした。
本能的な反射と、経験による映像の記憶や、体感の記憶を直接呼び起こすことによって、即座に反応します。
ところが、人間の場合は、その間に、言葉という記憶を介在させるようになりました。
言葉というシンボルを介在させることによって思考というプロセスを踏むようになりました。
同じ思考を何度もしていると、それを省くようになります。
無意識の中に定着して信念化します。
このように言葉を介在させることによって、人間は文化を創造できるようになりました。
しかし、その反面、誤った思考が固定化し、信念化されることによっての弊害も生まれてきています。
ある人は、意識が肉体から独立して存在していると考えています。
これは誤りです。
スピリチュアルや唯心論的な考えです。
心も肉体も同時に存在するのです。
心は生きた肉体の働きであり、機能です。
心の働きを失った身体は、もはや死体です。
心の働きとは、言葉を持った人間では、感情の働きと思考の働きです。
生体の反応のもともとは、感情です。
言葉を介在させることによって、感情の他に思考が生まれました。
思考は言葉であり道具です。
ですから、思考を変えることによって感情を変えることができるのです。
心という言葉、感情という言葉、思考という言葉、魂という言葉、神という言葉・・・・
すべて言葉という道具の一部であり、たんにシンボルであり実体ではありません。
生命という実在があり、その機能の中に心の働きがあり、その命の実在が存在する限りにおいて心も実在となります。
命は潜在意識の働きを持っています。だから命です。
生きている命を離れて意識は存在しないというのが私の考えです。
あなたの意識は私の考えにどう反応しましたか?