旅には思いがけない出逢いがある。
今週、カミさんとお伊勢参りに出かけた。
以前から、日本人なら一度は天照大御神を祀る神宮に参らなければ、と思っていた。
毎年初詣に訪れる地元の所澤神明社も天照大御神を祭神としているが、伊勢神宮はその本宗。
新幹線を名古屋で降り、JR快速で伊勢市に向かった。
外宮近くのホテルに2泊して内宮と外宮を行ったり来たりしたが、雨予報だった2日目も晴れて充実。
出逢いはその2日目に起こった。
内宮から外宮へ戻ろうとバスに乗っていたところ、途中の宇治山田駅前でカミさんが足を大きく上げた投手の銅像を発見。
すぐ次のバス停で降りて戻ってみると、伝説の大投手・沢村栄治だった。
1934年、日本プロ野球設立のきっかけとなった日米野球で、ベーブ・ルースやルー・ゲーリックらメジャーの強打者たちから9三振を奪った17歳の“スクールボーイ・サワムラ”。
わずか5年のプロ生活でノーヒットノーラン3回、初代MVP、そしてその名を冠した投手最高の栄誉「沢村賞」の制定。
伝記で読んだ人です。
道路を挟んだ銅像の向かいには「澤村榮治生誕の地」「澤村榮治生誕の街」という2つの看板。
奥へ進むと彼が残した言葉を刻んだ「全力石」、そして生家跡とお墓への道順を示した地図があった。
生家跡を確認した後、地図を見ながらお墓へ向かう。
あった!
ボールにGマークの墓碑はテレビで見たことはあったが、詳しい場所などは調べていなかった。
自らの不勉強を恥じたが、カミさんのおかげで伝説の大投手の墓碑に詣でることができた。感謝
最後にとても大切なことだが、沢村栄治を語るうえで忘れてはならないのが戦争の記憶だ。
1938年21歳で日中戦争、1941年24歳で太平洋戦争に出征し、1944年27歳で巨人軍を解雇された後、3度目の出征で戦死した。
最初の兵役で肩を痛め、本格派から技巧派へ転向せざるを得なかったこともさることながら、若くして好きな野球を諦め戦地へ駆り出された彼の無念を思うと、どうにもやりきれない。
全国の野球ファンを熱狂させたスター選手でさえ、その野球生活を全うできなかった時代を我々は絶対に忘れてはならないし、次の世代にも語り継がなければならない。
それが沢村栄治を大先輩に持つすべての野球人の責任である。
いつの時代にも野球を志す若者がいるのだから。












