2003年6月、全調布総監督の相澤さんに退部して新チームを作ることを承知してもらい、レジェンズの立ち上げがスタートした。
地元・所沢市とその周辺地域での活動を目指し
埼玉西部地区社会人野球クラブ「レジェンズ」
と命名。
まず、日本野球連盟の下部組織で埼玉県を統括する埼玉県野球協会に加盟の意思を伝えなければならない。
しかし、意気込んで臨んだ当時の協会専務理事・奥平氏(故人)とのファーストコンタクトでは、あっさり
「続かないから、やめたほうがいいよ」
と言われてしまった。
それでも受話器を置かずに食い下がると
「チームを作ってから連絡しなさい」
と含みのあるお言葉をいただいた。
協会側からすれば、加盟させたはいいが数年で「やっぱり辞めます」では困る。
仲間に迎えるからには長年に亘って安定的な運営を担保するバックボーンが必要なわけだ。
それはつまり資金のあるオーナーであり、企業や団体などのスポンサーであるわけで
「それを持たない君のクラブ構想では、継続的な活動は無理だ」
というわけだ。
だが、僕の中では十分に勝算はあった。
加盟後1~2年は赤字になるかもしれないが、それ以降はメンバーの会費だけでやっていける計算だった。
実際、1年目の僕の持ち出し分は3年目に完済され、その後は余裕こそないが安定した収支を保っている。
「さあ、何はともあれ、同志を募って活動をはじめよう!」
となった。