野球文化の中心が“選手”であることに疑う余地はない。
では、選手の次に重要な存在は何か?
それは“審判”である。
ゲーム中、彼らは選手より長くフィールドに立っている。
ゲームを公正かつ円滑に進行し、それを記録に値するもの、かつ観戦に値するものとして成立させるのが彼らの役割だ。
公正な勝負だからこそ、選手は真剣に挑み、観衆は一喜一憂する。
“審判”は野球にとって重要な存在なのだ。
『コンダクト・オブ・ザ・ゲーム』はそんな彼らの仕事を理解するのにもってこいの小説。
少年野球の審判から、審判学校→大学リーグ→マイナーリーグ→メジャーリーグと駆け上がっていく青年の、甘く切ない青春を描いている。
ちなみに、これもカミさんの掘り出し物。
ナイスです。
僕が監督を務める社会人野球クラブチーム「レジェンズ」の練習試合では、通常、両チームのコーチや選手が審判をするが、時々本職の審判さんに来てもらう。
彼らのよく通る声や切れのある動作が試合を引き締め、よい緊張感を生み出す。
また、何といってもその精度の高いジャッジはゲームを価値あるものにする。
しかし、中にはゲーム中にストライクゾーンが変わる人や明らかな誤審をする人もいる。
自軍に有利なジャッジには何も言う必要はないが、やはり後味が悪い。
最後に選手としての心得をひとつ。
打撃の神様-テッド・ウィリアムズはこう言っている。
「審判に抗議するのは時間の無駄だ。第一にジャッジは変わらない。第二に審判だっていつも間違ってばかりいるわけではない。」
