負傷から二十年経とうという今でも違和感が残る右手中指だが、半年もすると少しずつキャッチボールができるようになってきた。
母校・早稲田実業の武蔵関グランドで練習開始。
大学三年になると、和田監督(故人)の勧めで社会人野球クラブチーム「全調布」に入部。
大学でも硬式野球サークル「早稲田クラブ」に所属して、本格的に“野球生活”を再開した。
「全調布」の活動は毎週日曜日。
当時東京にはクラブチームが3つしかなく(現在13)選手の数も少なかったが、根っからの野球好きばかりで面白かった。
一方「早稲田クラブ」は平日に活動し、年2回駒沢球場で行われる早慶5チームによるリーグ戦に参加していた。
ちなみに、このリーグで優勝を争っていた「慶應エマノン」は、現在日本野球連盟に登録して神奈川県の社会人野球に参戦している。
大学4年の時、全調布メンバーと(前列右から3番目)
