っというわけで、当時日野市立高幡台小学校の一年生だった僕は、仲間を集めて野球らしきものに興じていた。
団地の壁をバックネットにして、ひとりが投げてひとりが打ち、残りの何人かが守る。
仲間がいない時は壁当て。
特に“壁当て”は、両親が共働きで街灯がともる時間になっても外にいられる僕にとって、恰好の遊びだった。
小学校3年生になると千葉県東葛飾郡浦安町(2年後に市制施行)に転居し、少年野球チーム“ジュニアサンデーズ”に入団。
浦安は埋立地の上にできた新しい街で、日野の山中のような自然はなかったが、開発途中の広大な空き地がたくさんあって、遊び場には困らなかった。
ここでも仲間と一緒に自転車で走り回り色んな遊びをしたが、やはり日曜日の野球が一番の楽しみだった。
小学校も高学年になると“壁当て”のほかに“素振り”が日課に加わり、打球の飛距離がグーンと伸びた。
6年生の春季大会でランニングホームランを打ち、トロフィーを貰ったのがすごく嬉しかったのを覚えている。
そしてその年の秋季大会では、チーム創立以来初めて決勝に進出し準優勝。
自身も2回戦を再試合に持ち込む最終回の同点ソロなど2本のホームランを放ち、四番の責任を果たした。
ちなみにポジションはキャッチャー。
準決勝ではマウンドにも上がったが、球の速いノーコンピッチャーだった。
6年秋、キングスターとの決勝戦
センター前ヒット!

