私の夢は、息子をプロ野球選手にすることです。

私の夢は、息子をプロ野球選手にすることです。

息子に誇れることがあるとすれば「高校球児」だったことくらい。そんなもんだ。
ただ野球は人生だ。野球で学び野球で育つ。そんな育児があっても良いではないか。当面のライバルはサッカーである。

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今年のプロ野球。


セ・リーグのMVP候補の筆頭は、巨人の阿部ではなかろうか。



来年3月のWBC日本代表のキャプテン候補でもあり、

今季は彼にとってのベストシーズンだったかもしれない。


ちょっとすっぱ抜かれたことは置いといて、だが。













そんな阿部だが、恩師によると阿部より素材の良い選手は

何百人もいただろうとのこと。


それが球界を代表する選手まで昇りつめるまでに至った

理由は「常にプロを意識していたから」だとのことだ。





単にうまくなりたいと思うのではなく、プロでやって行くことを

意識する――これが大きな差になるのだという。


















興味深い話だ。



「うまくなりたい」というのは野球少年の純粋なハートである。


基本はここから。


別にうまくならなくても良い、ってヤツは伸びない。



これは少年野球に限ったことではない。




仕事だってそうだ。






うまい下手が出にくい業種もあるが、

まぁ向上心と言いかえれば良いだろうか。





自分の力を上げることを目指さなければ伸びない。

















しかし、それだけでは足りないというのが今回の記事。


プロを目指す―――


社会人に置き換えれば、向上心に加え野心も持て

といったところか(ちょっと違うか?)。



まぁ無理して社会人に置き換えるはやめよう。



野球の話をしているのだ。



















そういう「常にプロを意識する」考え方、一種の思い込みを

プラシーボ効果と言うらしい。


なれたら良いなと夢想するより、

なれる、なれる。そのためにはどうするか?

という考え方で成長すればより効率的だということか。


























ちなみに、今夏の甲子園で1回戦負けした

愛工大名電の濱田投手は

「次は良いピッチングをしたい」という旨の

コメントを残したらしい。



高校球児は夏が終われば終了である。




負けたその直後に「次は~」なんてコメント

常人なら口から出てこない。





彼もまた、プロを念頭に置いている。

だからこそのコメント。



「次は~」はプロにしろ進学にしろ

野球人生が終わっていないことを考えれば

当然のコメントだ。



しかし、簡単ではない。










これも常日頃の考え方の差であろう。
















阿部と濱田くんのエピソードはナンバーWebから引用

させてもらった。以下のリンクにその詳細はある。


ナンバーWebより。


























ひるがえって我が家で考えるならば、

プロ野球選手に育てたいと思うと同時に

「お前はプロになる!」という意識付けも

必要になってくるという話である。




息子はまだ5歳。



今は「将来は野球選手だな」とか言えば

「うん、なる~~~」と軽い返事である。






…まぁ、今はそんなもんだ。











やはり、何かに浮気しそうになった時、

いかに野球に気を向けさせられるか、が重要である。







そういう意味では、やはりサッカーは強敵だ。







先週末は保育園の父母や子ども達で

公園に出かけた。




子どもが集まると、まずサッカーをやる。





…ていうか、お父さん方も意外にサッカー好き。









まぁボールを蹴るだけで形になるので、

簡単な話ではある。













そのあと、一応、野球をやることになった。





…一応だ。











最初は群がっていた子どもたちであったが、

1人減り2人減り…投げたり打ったりする順番を

待てない子たちは違う遊びへと去っていく。















サッカーは順番待ちない…もんな。





ウチの息子は最後まで飽きずにやっていたことは、

とりあえずは安心材料であろう。













しかし、まぁ、野球のルールを平気で知らない

小学生も、やっぱイマドキっちゃイマドキである。




ストライクゾーンが良く分からないから、

とりあえず振る。高めの暴投を。




野球を知っている、ピッチャーをやった子が

「振ったから三振~」なんて言うと

「ちゃんと当たるところに投げろよ」と言う。


「いや、だったら振らなきゃ良いじゃん」という

ピッチャーの発言を無視し、そのまま居座る。



すると、今度はストライクゾーンでも振らない。


だってストライクゾーンを知らないから。








三振を理解してないから、次のバッターに代わるのを拒む。


彼からすれば「強制的に交代させられる」である。


だって三振を知らないから。









よその子にルールをイチから説明するわけにはいかない。


ちょっと家で野球見て来いよ、と言いたくなったが

近くには彼のお父さんもいたから何となく代わってもらった。


…てか、お父さんも代わるよう促せよって話だ。







そうこうしてるから、後ろの順番の子は遊びに去る。









野球人口の減少だ。











こんな、他愛もない週末の光景であるが

実はココが一番の問題だと思う。







ルールを知らない子が多いから、

知ってる子まで飽きちゃう。




今さら地上波放送で毎日中継をするなんて

ことは、100パー無理であろう。



だから自然にルールを覚えることなんてないのである。






見せるか教えるか、もしくはやらせないか。








やらせないというのは極論ではあるが、

そっちの方が野球人口が減ることはない気がする。

というのは少々大げさか。



うん、大げさである。
























それにしても、私ではなく同世代の子ども達と

野球をやれたことは、息子にとって刺激になった。


空振りした悔しさを前面に出していたし。


「練習して、うまくなろうぜ!」

と言っておいたが、ナンバーWebの記事を見た今なら

「プロはもっと球が早いぜ! 打ちたければ練習あるのみ!」

などと「プロ」という単語を散りばめたかもしれない。



確かに「プロは~」って入れるだけで

目標というか道が見える気がするのは私だけだろうか。
















早くもプラシーボ効果が効いてきた私である。



















おととしは、確か1試合も地上波放送がなかった。








それが、今年はどうだ。



全試合、完全中継である。














さすがは巨人。


野球は巨人、の時代は終わったハズだが

圧倒的な全国区であることに変わりはない。




私は巨人ファンでもアンチ巨人でもないが、

魅力的なチームだとは思う。



資金面の力があるからか、やはりタレント揃い。




世の中、金じゃねーぜ!


と言いたいところだが、企業活動においては金である。

個人レベルの生活も、まぁ金は大事だ。




それが全てではないが、あればやりたいこともやれる。























そんな巨人に立ち向かうのが日本ハム。


元東京ドーム対決なんて、若い人には

通じねーんだろうな。





ダルビッシュが抜けた穴の大きさを隠しつつ(?)

新監督の栗山氏の手腕によって(?)

戦国パリーグを勝ち抜いてきた、つわものだ。















資金力では圧倒的に巨人。


層の厚さもネームバリューも、日ハムは敵わない。


では勢いでカバー、とも行かない。



クライマックスシリーズをギリギリのところで勝ってきた巨人。

あっさり勝ってきた日ハム(負けたのはソフトバンクですが、何か?)。



ギリギリの試合をしてきたチームは強い。




それがそのまま、東京ドームの2試合に出た。






2連勝で札幌を乗り込む巨人。

対して、地元での巻き返しを狙う日ハム。






第3戦は巨人のホールトンが、ありゃりゃ。

ソフトバンク時代から、あんなところはある。


日ハムが1つ、星を返した。























そして迎えた第4戦。


巨人は宮國、日ハムは中村勝というハタチ対決。



おいおい、ハタチが日本シリーズで投げるなんて

時代は変わったもんだな、なんて思いは吹っ飛ぶ。



2人とも、ナイスピッチングすぎるのだ。





外角低めにも内角にもストレートが決まり、

相手をあざ笑うかのような変化球も決まる。












こういう試合になると「投手戦ではなく貧打線」という

輩が出てくるが、何をおっしゃるウサギさん、である。



プロの選手に対して貧打なんて失礼だろう。


仮に失投があっても、それを打てなかったら、それは

ピッチャーに何かしらの力があるわけである。



気合いだったり根性だったり…という昔のスポ根漫画の

ようなことを言うつもりはないが、投手の勝ちに間違いはない。





「あんなに打てないなんて、貧打だな~」と嘆く前に

相手の投手を褒めなさい。ナイスピッチだった、と。





抑えりゃ偉いんだ。






ましてやハタチの若造ぞ。


















それにしても、2人とも素晴らしかった。


日ハムの中村勝はダルビッシュを意識しすぎだろ!

って、誰か言った?


どこかで聞こえた気がする。












ただ、えてしてこういう試合は、ピッチャーが代わった時に

試合が動きやすい。まず代わったのは中村勝。


代わってマウンドに上がるのは石井裕也だ。


石井と言えば中日・横浜を渡り歩いてきた苦労人。




さらに先天性の難聴で、左耳は全く聞こえず、右耳も

補聴器でかすかに聞こえるといったハンディキャップを持つ。







ただ、私たちは聞こえているのが当たり前だから

「聞こえなくなったら、どうなるのだろう?」と

考えてしまうが、もともと聞こえていない人にとっては

それが当たり前のなのだから、もしかすると

石井はハンディだと思ってないのかもしれない。




















そんな石井の代わり鼻、いきなりのフォアボールである。


こりゃ、もう私が巨人ファンなら小躍りしたことだろう。


点が入りそうな雰囲気プンプンである。






送りバントで2塁に進め、長野。


巨人の中で期待できるバッターの上位であろう。













初球を打ち上げる…か。





もちろん長野は一流だ。

早めに打ちに行くスタンスも確立されている。


それが結果的にアウトになっただけ。

おそらく長野が責められることはないだろう。






















だが、中学や高校野球などに置き換え

同じ場面で息子が打席に入っていたら

私はこう言うだろう、と思う。




初球は様子を見ろ、と。




こんなことを言うと、消極的だとか初球を打つ重要性を

知らない素人だ(いや、素人に違いはないが)と言われそうだが

それでも、私は息子にそう言う。
















野球は確率のスポーツである。


打率・防御率・勝率、その他、最近ではセイバーメトリクスと呼ばれる

我々が子どもの頃には認知してなかった統計学も重宝されている。




その意味では、例えば「石井は初球ストレートの可能性が高い」

などのデータがあれば、初球はストレート狙いで打ちに行くことも

当然の策である。というか、それが野球の基本だ。




ただ、野球部の人や野球の試合をよく見る人なら分かると思うが

「あのプレーで流れが変わった」などと、解説者がよく言う。



流れ。






野球を知らない人にとっては何のこっちゃ、である。


牽制アウトを食らって流れが変わる。

追い込んでから死球を与えて流れが変わる。

楽々ゲッツーが1つしかアウトを取れなくて流れが変わる。










流れが変わると、点が入りやすい。



よく見てもらいたい。










流れが変わると、点が入りやすい。



野球の概念を捨てて考える。











流れが変わると、点が入りやすい。



ほら、オカルト以外の何物でもない。













なんだよ、流れって!

流れで相手の能力が上がるわけでもないし!


その通りである。















ただ、流れはある。






これは紛れもない事実。


この事実を証明しろと言われても困る。


野球好きには分かる、と言えば勝手に言ってろと

言われるのがオチだが、それは仕方がない。


























で、何が言いたいのかというと、

昨日の場面で長野が初球を打ち上げた瞬間、

一番ホッとしたのは石井だったと思うのだ。



好投の若手の後を引き継ぎマウンドへ。


そしたら、いきなりのフォアボール。で、バント。




長野って、良いバッターだから慎重に…なんて

投じた初球を簡単に外野フライ。







同じ外野フライという結果であっても、

数球粘った末のものだったりすれば

不安のまま次の松本と対峙していた気がする。





「流れ」的にはそんな場面である。



1アウト2塁で上位陣。




そら、もう四苦八苦して抑えて行くしかない。

1点取られてもおかしくはない流れ。







それを断ち切ったのが長野だったというのが私の考えだ。


























やばい、そろそろ夕飯を作らねばならない。


今日、書きたかったことの続きは息子(5歳)に

直接言うことにしよう。






「昨日の長野、覚えてるか? ああいう場面は初球を

見送るくらいの余裕で打席に入ったほうが良いぞ。

苦しいのはピッチャーのほうなんだ。代わったばっかで

落ち着かない時は、こっちがデンと構えて…」


「ストライクをみおくったら、もったいないじゃん!」



たぶん、こう言われるのだろう。







まだ、流れの話は早い、か…。


















私の夢は、息子をプロ野球選手にすることです。




という名前でブログを立ち上げた。











まぁ取りとめのない単語の羅列である。


誰かに許可がいるような名称は使っていないし、

訴えられる心配もない、いわば普通のタイトルである。









しかし、私の中では違う。



ある種、衝撃を受けたフレーズを引用している。


つーことは、パクリか!?


などとは言わないでほしい。



尊敬の念を持って、拝借したのである。






















あれは7~8年前だろうか。


まだ私は独身だった。つまり、子どももいないわけである。





結婚するまで年賀状を出す文化がなく、

出さないから当然、届きもしない。




結婚した友人が、家族の写真付きで送ってくるか、

もしくは近所の美容院(という名の床屋)や

いつ買い物に行ったのか分からないシャレオツな

ショップから届くぐらいである。





だから、たいして興味もない。





友人の家族写真も、自分が結婚した今だからこそ

温かい目で見ることができるが、当時はまぁまぁ

冷やかな目で見ていたものだ。



















ちなみに、現在はどっぷり写真付きの年賀状を

送らせてもらっている。




独身貴族な友人たちからしたら

邪魔以外の何物でもないのかもしれないが、

気にするな。好きで送っているのだ。























そんな当時の私が何とはなしに数枚の年賀状を

パラパラ見ていると、件の文章が書いていある。
















――私の夢は、息子をプロ野球選手にすることです――






いや、この瞬間では何の感想もない。


へ~、である。










ただ、気になったのは、これを書いてきた友人が

小学生からの付き合いであること。





「私」という一人称や「~です」という

敬語は違和感ありまくりなのである。











普段のノリであれば


オレは息子をプロ野球選手にしたい!


こんな感じか。






もっと砕けて、


息子がプロ野球選手になったらスゴくね!?


こんな感じも十分に考えられる間柄だ。



















それが、会社の年始の目標設定にでも書きそうなフレーズ。


いよいよ病んだか、と少し心配したものである。






















今なら分かる。



これは友人なりの決意表明だったのだろう、と。



私も今年の年賀状にそのフレーズを書き添えたいと

思ってさえいる。…ただ、ブログを初めてしまった以上

万が一にでもバレてはいけない。




正体を明かすのは、息子のドラフト当日である。


















その友人の決意表明に賛同できたからこそ、

ブログのタイトルとして拝借させてもらった。


もちろん、無許可である。


が、そんなことしなくても良い間柄。


もう30年近く付き合っている。












ちなみに友人の息子は中学生だったハズ。


立派な野球部員だ。










いよいよ高校野球へのカウントダウンではないか。

甲子園というでっかい目標がある高校野球は

中学野球から、さらに一歩上の世界だ。



高校球児にとっての甲子園は夢であり異空間。

毎年出られるような常連校ならいざ知らず、

圧倒的多数の弱小野球部員からすれば

想像すらできないモンスター球場である。





















ちょっとイっちゃってると思わないでほしいが、

30代半ばになっても、まだ甲子園に出たい。



これ、マジ。


リアル。




出川哲郎風に言うなら「リアルガチ」である。


















今年の夏の甲子園の開会式をぼんやり見ていたとき

ただ率直に「出てぇなぁ」と、つぶやいた。


すると近くにいた妻が「何歳なん!?」と切り返してきた。




ははは、と苦笑したが、何歳とか関係ないのである。


私からすれば40になろうが50になろうが、

赤いちゃんちゃんこ着たり、まだ年金もらえねぇのかよと

ボヤいたり、近所の病院ロビー通いが日課になったり、

それこそ、いよいよお迎えが来そうになった段階でも


「出てぇなぁ」なのである。
























甲子園は、はかない。


高校時代にチャンスは3回(選抜を含めても5回)。


そのチャンスを掴むためには、夏の大会であれば

都道府県大会で一度も負けられないのである。


厳しすぎるだろ。


だからこその至福。















そんな甲子園への挑戦が、友人の息子に近づいている。

(といっても、確かまだ中1だったと思う。もう少し余裕あり)



どんな高校に行くのか、まずはそこからだ。


本気なら強豪校が手っ取り早い。


その中でのレギュラー争いは熾烈だが、

先はプロ野球を見ているのである。



そんなところで負けているようであれば、

晩成型でもない限り勝負にならない。



何より友人には覚悟のフレーズがある。






自慢の息子に、徹底的に自分のできるだけの

野球教育を施してきたのであろう。







人の子であるものの、楽しみである。



彼が甲子園に出られたら、ぜひ駆けつけようと思う。

















…とまぁ、まだ(おそらく)中1である人の息子にまで

希望や夢を乗せて見守りたくなる。


ある種、異常だ。


とりつかれているんだろうな、きっと。











良いのである。野球は最高なのだ。



野球という競技をやらなくなっても、

野球部は一生、野球部。



野球部あれば甲子園に憧れ、

プロの世界を夢見るのも当然のことである。




それをただ、次世代の息子たちに託すだけ。























もしかすると、その友人は私よりも先に

プロ野球選手の父親になるかもしれない。


可能性は無限である。






その時は盛大に祝杯を上げようと思う。






そして、ブログ名を拝借したと…

いや、やはり伝えられない。





ただ、自分の口の軽さだけが心配である。