“赤毛のアン“の翻訳者である村岡花子の初めての書、「爐邊 ろへん」が世に出たときの前書きです。

— 別々な要求と、別々な考えを持った様々な人々の心に、この平凡な弱い私の聲が何を囁けるというのでしょう。しかし、私は大胆に申します。
「行け!私の小さな書よ、行け!」と。
 かよわい翼を精一杯に張って、限りなく広い大空へ兎も角も出てみようとしている私の愛する雄々しい小さき書の行くところには、いずこまでも熱い祈りとなって参るのでございます。—
父母も子供も一緒になって聲を出して読んでも困らない、そして楽しむことのできる適当な本が、それまでの日本になかったことへの指摘を受けて、花子は十三篇の翻訳短編集を送り出しました。
「爐邊」は、花子が農村の教え子の家で味わった暖かい炉を囲む家族の幸福な姿が投影されていました。

重みが全く違いましょうが、厚かましくも村岡花子の言葉をそのまま記します。
7月22日“長生きは唾液で決まる” 行け!僕の小さな書よ、行け!
「口」というなんの変哲も無い体の一部を切り口に「生きる」を見つめていこうとしました。
日本の今の時勢は、物の足りていない村岡花子の時代と異なり、物は満ち、戦争はなく、餓死もなく、インフラは津々浦々まで整備され、長寿までも得て、それでいて、なお悩みを生み出そうとしています。
「ダメだから」ではなくて「ありがとう」から始めたいと思います。

試合開始まであと10分、僕は信濃町駅改札を出て、駅前歩道橋を駆け上がり神宮第二球場を目指した。こうまでぎりぎりになってしまったのには理由がある。岩本町から秋葉原に乗り換える路上で、朝マックが食べたい衝動にかられた僕は、店に入り試合開始に間に合うか間に合わないかの瀬戸際を選んでしまったのだ。
特にアイスコーヒーはおいしかった。

都立雪谷高校が甲子園予選の東東京大会5回戦に挑んでいる。
対戦は、次男が7年前の同じ時期に対戦して破れた相手だ。
一塁側内野スタンドは、雪谷のチームカラーである赤が埋め尽くしている。
最後列の通路側にある柵の前に立っていられるスペースがあった。学生時代から最後列の端というのは僕にとって最も落ち着ける空間である。ベストポジションだ。
ヒットが出ると声援が沸き、点が入るとボルテーシは最高潮となる。
相手方チームは、自分が勤務している大学の付属高校であるだけに、応援する心境は少々複雑だ。

結果は5回コールド勝ちだった。
7年前の無念を晴らした形になった。次男も一塁側のどこかで見ているはずだ。
敗戦したチームの気持ちは痛いほどわかる。
7年前の夏、敗退した次男は、試合の翌日使っていたユニホームを全てたたんでバッグに詰め込んで部屋を出ていった。バッグを背にして、後輩に全てを譲るためにトボトボと駅に向かって歩く次男の姿を、僕はベランダから眺めていた。本当に野球が終わっちゃう・・・追い続けた夢が完全に消えて、改めて現実を知らされた瞬間だった。
 
でも、7年の時を超えて、次男の後輩達が夢を受け継いでくれていた。
喜びも悲しみも全て詰まっているのが夢だから。
夏の始まり、夢の途中、僕はかぶっていた雪谷の野球帽をかぶり直して球場を出た。


「ヤングコーンはね、そういう品種があるわけじゃないのよ。トウモロコシになる前の子供のコーンのことを言うの。」と妻が言った。「知ってた?」

その畑に6時30分に着いた。
78歳になる畑の主たるご婦人は、背丈より高いトウモロコシが生る列と列の間に身を置き、すでにヤングコーンを捥いでいた。薄緑の葉に覆われたコーンが、間隔をあけながら山積みにされている。
僕の役割は、コーンを空の米20キロ袋に詰め込んで、車が留めてある所まで運んでいくことだ。
僕のいる列の隣の列からは、ヤングコーンを捥ぐ音が聞こえる。
刃物は一切使っていないのだが、捥ぐというよりも鷲掴みにして切り落としているといった力強い感じで、その年齢のご婦人が生み出す音とはとても思えない。

袋を列の先端まで運んでくると、作業帽をかぶり布巾で目だけだして顔を覆っているご婦人と妻が話をしていた。
「昨日は、隣の畑の収穫だったのよ。今日中に、ここの収穫は終えないといけないから、ここんとこずっと忙しいの。この冬は、山梨に120年ぶりの大雪が降って、どうなるかと思ったけど、少し時期は遅くなったくらいで、いい感じで育ったわ。」
「本当に良かったわね。毛の部分は捨てないで、水洗いだけして、麺つゆで食べるとトウモロコシの香りのする繊細な素麺のようになって、おいしいわよお。」
「それは知らなかったわ。なにしろ、収穫だけで精一杯だから、そんなこと試したこともなかったわ。」
妻は、生産者においしいヤングコーンの講釈をしている。

妻の言い伝えのよると、ヤングコーンの収穫のタイミングは、その日一日しかないという。ひと雨降るだけで、捥ぐタイミングは早まるし、気温の上下次第でも早くなったり遅くなったりする。三日前に、妻のところに電話があって、日曜日がその日になるから来てくださいとのことだった。
 一本の幹に生っているヤングコーンを、一つだけ残して他は全て捥いでおく。どの一つを残すかの見立ては、ご夫人の長年の経験から培ったものでしかない。養分が一つのコーンに集中するので、極上のトウモロコシが出来上がる。成熟した選ばれしコーンは“甘甘娘(かんかんムスメ)”として世に出て行く。

 一枚、一枚、葉を落とすと中指くらいの長さで先の尖ったコーンが姿を現す。人差し指と親指とでつまんで口に入れる。プリッとした食感、次の瞬間にははじけるように甘い汁が口の中に飛び散り、コーンの香りと味が支配する。
「うまい!」