“赤毛のアン“の翻訳者である村岡花子の初めての書、「爐邊 ろへん」が世に出たときの前書きです。

— 別々な要求と、別々な考えを持った様々な人々の心に、この平凡な弱い私の聲が何を囁けるというのでしょう。しかし、私は大胆に申します。
「行け!私の小さな書よ、行け!」と。
 かよわい翼を精一杯に張って、限りなく広い大空へ兎も角も出てみようとしている私の愛する雄々しい小さき書の行くところには、いずこまでも熱い祈りとなって参るのでございます。—
父母も子供も一緒になって聲を出して読んでも困らない、そして楽しむことのできる適当な本が、それまでの日本になかったことへの指摘を受けて、花子は十三篇の翻訳短編集を送り出しました。
「爐邊」は、花子が農村の教え子の家で味わった暖かい炉を囲む家族の幸福な姿が投影されていました。

重みが全く違いましょうが、厚かましくも村岡花子の言葉をそのまま記します。
7月22日“長生きは唾液で決まる” 行け!僕の小さな書よ、行け!
「口」というなんの変哲も無い体の一部を切り口に「生きる」を見つめていこうとしました。
日本の今の時勢は、物の足りていない村岡花子の時代と異なり、物は満ち、戦争はなく、餓死もなく、インフラは津々浦々まで整備され、長寿までも得て、それでいて、なお悩みを生み出そうとしています。
「ダメだから」ではなくて「ありがとう」から始めたいと思います。