都営新宿線の岩本町駅から地上に上がって昭和通りの交差点近くに千桜小学校がありました。20年くらい前に閉校になり、校舎は更地となったのですが、校門だけは残っていました。校門を抜けると石碑が立っていて、それには千場小学校と桜池小学校が合併して、この千葉周作道場跡に千桜小学校が創立されたと記録されていました。
 今、校門も取り壊されて、マンションを建てています。
 JRから都営新宿線に乗り換えるのに、秋葉原のほうが近いのですが、一つ手前の神田駅で降りて千桜小学校の門の前を通っていました。もうその必要はなくなりました。だから引っ越します。

 名犬パンチが、今のところに住めなくなりました。だから引っ越します。

 次男が生まれた年に小松川に引っ越してきて25年。小路、桜木、川、富士山、朝日に夕陽、ここから見える全てがありがたくて、でもこれ以上ここに住むと、想い出が沢山すぎて、心の袋に入り切らなくなってしまうので引っ越します。

 笑顔で引っ越します。
 小松川に一点の曇りなく、あるのは感謝のみ。
 大好きな小松川、出会えて本当に良かった。
 笑顔で、笑顔で・・・・・・絶対笑顔で引っ越します。
「充実した時間は長い」ダヴィンチです。
時間は過ぎてしまうと早いのですが、それも年々加速していくように早くなりますが、思い返すとこんなにもやってきたのかと思えたときには、時の経つことの早い遅いに関係なく,達成感が身を覆います。
”長生きは唾液で決まる(講談社+α新書)”僕にとっては、初めての一般書でした。
購買冊数は出版した以上、気になります。限定された分野ではありますが、年間の売り上げ冊数1位でした。まさかでした。


「準備することなければ、できることって、ほんとに少ないんですよね。」糸井重里氏です。
”長生き~”は一昨年から準備されたことが、今年、一つの形になったものです。この本の執筆作業が楽しくて、楽しくて、本職が入れ籠めば入れ籠むほどに、楽しんでいたように思います。

出版記念講演は、本意でなかったですが、まだ現役続行中に、今日までお世話になったり、指導を“受けた方がにお礼の気持ちをお伝えしたかったこともあり、思い切って妻や周囲の方々の力を借りて、催しました。妻にしてみても、その前後に一番、行事が立て込んでいるときでもありました。

今年の手帳を1月1日からめくってみると、一等賞ではないけれど、完走したんだと思います。
「明日は、今日よりも幸せになる。明後日は明日よりも、もっと幸せになるわ。」100歳を達成した最後の吉原芸者 みなこ姐さんの言葉です。
来年も新しい自分になって、いろんな出来事に巡り会える、何歳になったって充実してるし、夢にむかって準備していくし、もっと幸せになる、そう信じていきたいです。

幸せって自分一人じゃなれない、自分一人だけの幸せなんて絶対にないと知りました。
人が喜びを感じて、はじめて自分も喜べると知りました。

2014の全てへ、ありがとうございました。
途中休んだり、つまづきながら、なんとか完走しました。


霜の月の最初に、朝顔が咲いた。
枯れ寄せるゴーヤの葉の隙間に、ほっこりと咲いている。
他の鉢の朝顔は、すべて添え木に茎をまいて、種の実となった。
4月にベランダーデビューを果たした僕は、半年が過ぎてその熱は冷めやらず。
僕はこれが好きだったらしい。こればかりは期待とおりの僕だった。
芽生え、やがて茎が伸び、葉が広がり、花となっていった。
生まれた赤児が、やがて這えずり、そして駆け回り、成人していく。
なんか似ている。

老は、田沼意次大老といわれたように最上級の位の名称だった。家老はその家を統率する第一人者だ。
老人とは、単に年をとっている人ではなく、数々の経験を積んで人格的に出来上がった人のことをさすという。高齢者にはなった暁には、老人にもなりたいものだ。
人の世界に老があるなら、花の世界にも老があっていい。
老花・・・・うん、これはあってもいいな。
この半年間、ベランダの花々は、酸いも甘いも経験し、風雨に堪え、そうベランダを襲った台風だってあった、それらを乗り越えて今日を迎えているのだから老花だ。

小さな鉢が、その花の家ならば、家老ならぬ花老・・・うん、これもあっていい。

先日亡くなられた赤瀬川源平さんが立ち上げた有志の会である路上観察学会で、東海道五十三次を歩こうということで日本橋から静岡まで行ったときのこと。掛川の先の袋井というところを歩いて目についた立て看板があった。
“老人は家の守り神”
「いいなあこの言葉、小さな町内会の集会所みたいな小屋の前にあったんだけど。なんだかちょっと感動してしまった」とのこと。
赤瀬川さん、だったらこれはどうでしょう。
“老花は家の癒し神” 路上観察学会に採用していただけますか。

暦の上では霜のおりる日
花老様・・・健気な姿に水を注ぐ。