掃除もほどほどに
~疎外感や孤独を感じている人たちへ~
パソコン教室を営んでいる
和田基博と申します
1日に1度と言わず村社のことが思い浮かび、呼ばれた感があって
最近では朝、仕事前にお参りに行くようになりました。
まあ、呼ばれた感が無いのに行ってみようかと思っても、電話が入り仕事が出来たり、
何か用事が出来たりして行けないことも、Light Workerとして生きようと決めた
この5年間多々ありましたが、今年になってからは10月になっても皆勤です。
境内や参道に枯葉が散乱していれば、箒を持ってきて掃掃除をするのは
変わりはありませんが、少しくらいの落ち葉であれば、これも風情を感じ、
そのままあっても良いように感じて、そのままにする時もあったりします。
有難いことに村社では、氏子以外の年配の男性の方とこれまた別の女性の方が
お参りに来られて、掃除をして下さいます。
私も行く度、枯葉や落ち葉が散らかっていれば松葉帚や竹箒で掃き掃除をしますが、
頻繁にやっていると手には当然タコが出来ます。
私の場合、左手の親指の付け根と右手人差し指の根元辺りにタコが出来て
何かに触れるたび、それだけ掃除という奉仕の徳に対する印を感じられます。
しかし人間というか、私はズボラなもので短時間で効率を考えようとします。
自宅ではそんなに必要性もないのにハンディブロワを買ったり、
それが壊れるとエンジン式のブロワを買って掃除をするようになりました。
箒を触る機会が少なくなり3カ月もするとタコはどんどん小さくなっていきました。
ある時、境内を掃除していると、「あまりキレイにし過ぎるのも良くなくて、
神が通る参道の中道はキレイにして、境内にはほどほどの枯葉が落ちているくらいが
丁度良いのだ」
と声が聞こえてきました。
それに「お前が一人で掃除を負わなくても、やってくれる人が現れるようになる」
と思い浮かんだことが現実となり、氏子以外の方でも掃除をしてくれる方が
来られるようになりました。
何事も「ほどほど」が一番良いのかもしれません。
少しでも、何か参考になったとか
興味があるとか気が落ち着いたと
思って下さると幸いです。
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