お堂での供養
~疎外感や孤独を感じている人たちへ~
パソコン教室を営んでいる
和田基博と申します
8月も13日となり、お盆を迎えました。
ご先祖の事ですが、「精霊さん」とここら辺りの地方では呼び、
13日は迎え日、15日は送り日でご先祖が帰ってくるとされているのです。
朝、神床では祓詞を奏上して簡素に終え、三宝荒神の神棚にお参りした後、
地元の納骨堂へと原付に乗って行ってきました。
納骨堂は13日の朝6時から夕方まで開錠され、
夕方まで2時間ずつ交代で管理組合の担当者が
当番で出るようになっています。
14日も同じく、そして15日の夜の盆踊りが終わるまで
お参りできるようになっています。
毎年13日はお坊さんが8時からお経を上げにくるようになっていますが、
ちょうど終わったころになりました。
それでも数組の方たちがお参りをされていて、当番の方に「ご苦労様です」と挨拶し、
堂内の阿弥陀如来に線香を灯して立て、お賽銭を上げてお参りしました。
まだ父名義になっている祭壇、父方、母方、親戚の祭壇の扉を開けて、
それぞれのお骨に挨拶しました。
私が子供の頃には父方の祖母に連れられて、この納骨堂へお参りに来ていたのを
思い出しました。
父方の婆ちゃんは、亡くなった祖父の骨壺を開けて、
「ほら、爺ちゃんの!」と頭蓋骨を取り出して私の頭に乗せ、
その後ガリガリと煎餅みたいに骨をかじって食べていました。
今考えると嘘!と思えるような祖母の行為ですが、今思えば
若くして亡くなった祖父を愛していたのが良く分かります。
戦争当時、祖父たち家族は満州に居て、小学1~2年生くらいの年に
病気で亡くなった父の兄、まだそんなに記憶もなかった父、そして2人の妹の叔母、
そして満州で生まれた末っ子の叔母で、祖母は父と幼い3人の娘を連れて
日本へ帰ってきたそうです。
現在3女の叔母も86歳で元気に一人暮らしをしています。
祖母は連れ合いを亡くして日本へ帰って来て、祖父の兄とそれぞれに
連れを亡くしたことから再婚したそうです。
そして娘が生まれ、この叔母には凄く可愛がってもらいました。
私が物心ついた時には祖父は祖父の兄で、実の孫ではなかったのを後で知りましたが、
亡くなるまで私たち孫を可愛がってくれました。
婆ちゃんは、時々粉から厚手のもちもちの餃子の皮を作り、
豚ミンチとニラ、味噌や砂糖、調味料で水餃子を作ってくれ、
祖母の手は大きかったので餃子も一口では食べられないほどの
大きさがありましたが、お店で食べることがない祖母の味でした。
これも満州で現地の奥さんから習ったそうで、母もその味を引き継ぎ
時々父が母に作ってくれと頼み、私と弟が食べ盛りだった頃には
150個ほど作るのに母を手伝ったものでした。
祖母に聞いてみたことがありますが、満州地方では
焼き餃子などは見たことがないと話していました。
もちろん自分にとって都合の良い事、良い事ばかりではありませんでしたが、
それも含めていろいろな出来事がありました。
血のつながりも大切ですが魂のご縁も大切なことが分かるのです。
父も49歳で亡くなり母も昨年逝ってしまい一番近い先祖となりましたが、
今、私という存在が此処に居るという事の実感、感謝することの有難さ、
そして生前私と係わりご縁のあった人々に思いを馳せ、供養するのです。
帰って来て表の販売機へ行って缶コーヒーを買い、庭のお堂へ行って供え、
般若心経を唱えながら、爺ちゃんや婆ちゃん、良くしてくれた叔母ちゃん、
一人一人に感謝し、M女子のご先祖、そしてすべての根本までのご先祖に冥福を祈り、
残りたるものを見守り、事あらばお助け下さいと供養したのです。
少しでも、何か参考になったとか
興味があるとか気が落ち着いたと
思って下さると幸いです。
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