ご飯を炊くということ
~疎外感や孤独を感じている人たちへ~
パソコン教室を営んでいる
和田基博と申します
お米が切れそうだったのでディスカウントストアへ買い物に行ったついでに
5㎏のブランド米を買ってきました。
銘柄は無難なく美味しいと感じた「夢つくし」ですが、価格は随分と下がり
一番高い時季には4,000円くらいしたのが消費税込みで3,000円弱でした。
2日前にお米が無くなって1回のスライドで1合きちんと測れるので
ライサーに移すのですが、買ってきてからレンジ下の棚に入れていて、
この2日というもの何故か開封せずにパスタやそうめん、冷凍うどんや
冷凍・乾麺の蕎麦ばかり食べていました。
毎日35℃近く気温が上がってバテ気味で余り食欲がわかないということもあり、
独り暮らしなので、自分だけのために手間暇かけてというのも
その理由の一つなのです。
最近は特に外食すると味が濃すぎると感じたり、胃もたれを起こすことも
あったりで、せっかくの外食も美味しいとは感じられず
外に食べに行こうとは思わなかったのです。
これがM女子のためと思えば
喜んで出来るだけごちそうを食べに行くことでしょう。
しかし美味しいものを食べるということは自分を満たすためでもあり、
体は食べ物からしか作られないことも事実です。
ただ幸いなことに野菜は肉・魚よりも好きだったこともあり、昨日はメインは
野菜たっぷりの具材ちゃんぽんで、ブロッコリーをたくさん入れて
スープで茹でて食べるといったようにべジ多めの食事になりました。
それでもやはり主食はごはんで、どこか物足りなさを感じるのです。
昭和のオジサンとしては美味しい肉、魚、餃子やハンバーグなどの加工品にしても、
あくまで主食ではなくお米を美味しく食べるためのオカズなのです。
たまに朝、ご飯が無い時にはパンを食べたりもしますが、どうしてもスナックや
おやつ感覚になります。
外食してラーメン屋さんに行ったとしてもライスは必ず頼み、ラーメンは主食ではなく
オカズとして食べるのです。
それは蕎麦屋でもうどん屋でも同じで、白ご飯が稲荷寿司や
かしわめし、おにぎりになりますが、単体でラーメンやうどんを頼むことは
私の場合、ほとんど無いのです。
友人と食事をすると「炭水化物に炭水化物で摂りすぎないか?」と
言われたこともありますが、ご飯が主食、が染みついているのです。
それは食後の「ごちそうさま」の時の満足感が違い、体が喜んでいると感じるからです。
外食に関しても中学生くらいまで親が週に一度は洋食屋やレストランに連れて行って
食べさせてくれ、今となっては良い思い出ですが、20代の半ばで
父から引き継いだ会社を引き継いで社長と呼ばれる経験もあり、
金銭的にも不自由を感じたことはなく、ある程度自由に使えたこともあって
お金も惜しまずコースで2~3万円もするフランス料理や高級な店に行って
食べていた経験もありました。
その経験も必要なことだったと今思えば分かりますが、まあ当時はあまり、
贅沢に食べられるのも当たり前くらいに思っていた自分がいたような気がします。
還暦も半ばになろうとする年齢ですが、今までいろいろな美味しいと思うものは
食べてきましたが、美味しいものほど少しだけあれば良くて、
時にまた食べたいなと思うくらいのものが一番いいような気がします。
何より目の前にある食べ物がいろいろな経由でここにあり、その思いや
命に感謝できるかが全てです。
そして守護の存在や父や母、祖父母、先祖がいたからこそ自分が此処に居る
という当たり前ではない奇跡と云っても良いことに気づけることが有難いと
感謝を覚えるのです。
だから神床と三宝荒神、お堂のご先祖に炊き立ての美味しいご飯を供えるのです。
少しでも、何か参考になったとか
興味があるとか気が落ち着いたと
思って下さると幸いです。
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