お参りをシンプルに | 希望と光のブログ

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します

 

 

 

 

 

 

 

朝晩、神棚で作法に則り、これもほぼ無意識になりましたが、平伏に始まり、

 

ちゃんと「修祓」と言葉に出して述べ、二拝、二拍手、一拝で太鼓を叩く前に

 

深呼吸をして気持ちを落ち着かせて、縁打ちでカッ、カッ、それから

 

ドンッ、ドンッ、ドンッと間を縮めながら打っていきます。

 

 

 

 

一番、最初に、和太鼓を触って打ったのは、私がまだ若い頃お寺に通っていた時に、

 

それまで無かった和尚が買われた大きな和太鼓が来た時でした。

 

 

 

 

「モトさんよ、打ってみるかい?」の一言でした。

 

 

 

 

それまでは護摩供養や法要で本山のお寺に行った時くらいしかお不動さんの真言

 

または諸尊のマントラに合わせて、調子を合わるために打ち鳴らされる

 

太鼓しか見たことがなかったのです。

 

 

 

 

 

お寺の場合は、「法楽太鼓」というのを和尚から聞きましたが、

 

神社神道では「奉納太鼓」や「祈祷太鼓」と呼ぶらしいとを聞いたのは、

 

ここ数年前のことでした。

 

 

 

 

 

まあ、何と呼ぶのかは雑学程度の知識で良いと思いますが、楽器としても、

 

祈祷で打つにしても基本は同じです。

 

 

 

 

 

 

人差し指と親指で落ちない程度の強さで持ち、強弱はあるものの

 

手首の返しというのでしょうか、響いた音が違うのが

 

打っているとよくわかります。

 

 

 

 

 

 

「神床に和太鼓を」と意識に登ってから欲しくなり、ネットで見たり

 

楽器店に行ってみたりもしましたが、その値段も胴付き太鼓は高く、

 

私の小遣いで買えるのは小さめで、演奏用としては子供が練習するくらいの

 

大きさのものでした。

 

 

 

 

 

ネットを見ていて「これ!」と、即ポチッとクリックして買い物かごに入れ

 

5万5千円ほどで購入し、過去の記事でも詳細は書いていますが、

 

拍子をとっていくのも意外と難しく、近隣にも太鼓教室は2軒ありますが、

 

そこまでして習うよりも、パソコンにしても独学で覚えたというくらいの性分なので、

 

「独学で、納得いくまで」なのです。

 

 

 

どんな奏法、練習方法があるのかネットで調べたり、動画を一時期は見まくっていました。

 

 

 

 

それも面白くて祈禱太鼓ととは違うものの、高校生や地域の祭りの太鼓を打っている動画、

 

特に屋台囃子は感動もので、「凄いな!」と

 

食い入るように何度も何度も夢中になって見ていました。

 

 

 

 

 

何度も繰り替えしてみていると自然と両手がバチを打つ動作が自然に出て来るようになり、

 

真似て、実際に打ち鳴らしてみて、繰り返し、繰り返しやってみました。

 

 

 

 

 

ネットの動画が学びの手本となり、今では祝詞に合わせて太鼓を打ち鳴らしていますが、

 

まだまだ長い祝詞を奏上するには練習が必要なようです。

 

 

 

 

 

現実的に、何処かの神職にそうやると良いと言われたわけでもないのですが、

 

面白くて夢中になれるからというのが、法螺貝にしても錫杖にしてもそうですが、

 

絶対にそれらが必要かと言われれば、元々無くても良いものです。

 

 

 

まあ、楽器としてではなく、法具、神具として打てば響く、そして私の内なる神に、

 

魂を通して神や宇宙に響くものだと、何となくですが、そう理解しているのです。

 

 

 

 

 

神社にお参りに行ってお祓いの「ドン、ドン、ドン…」と太鼓の音が聞こえ

 

祝詞奏上をして実際にその光景がイメージとして出てきます。

 

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または村社の神事で代理神主が太鼓を叩かれているのを見ていても、

 

氣を込めておられるのを感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

朝の神床でのお参りは、祓詞か天津祝詞奏上の後、どうかすると時に1時間くらい

 

たくさんの祝詞を奏上したりもしますが、体調がすぐれない時など、

 

天津祝詞だけで良いかとかお参り前に思ったりもします。

 

 

 

 

太鼓を叩いて警蹕をする頃には、「大祓詞、奏上」と述べて、気がつけば

 

次々と祝詞を奏上していたりもします。

 

 

 

 

朝ですから仕事前までの時間であり、寝坊して慌てて生徒さんを迎えることも、

 

年に数回あるか、ないかですが、そういう時はお参りどころではありません。

 

 

ゼンブハッピー

 

 

 

だから、必ずお参りしなければならないと思い込みがちですが、

 

やりたいからやるのが正解なのです。

 

 

 

 

 

不思議なもので感謝の気持ちが湧き出てくれば、

 

その「やる、する」が「させてもらう」に変わるのです。

 

 

 

 

神様を祀っている以上、放ったらかしでないがしろにするのとは違いますが、

 

合掌して「祓い給え、清め給え、(かん)(ながら)、守り給え、幸い給え」の略拝詞だけでも

 

良いのです。

 

 

 

 

もっとワクワクして楽しいことがあれば、神床でお参りの時間を使うより、

 

そっちの方に時間と労力を費やしても構わないと私は思うのです。

 

 

 

 

 

 

また物質的に現実を見過ぎ形にとらわれ過ぎていると感じたならば、

 

詰まるところ、祀るのも止めても良いと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

本当は心はもっと自由であるべきなのかなとも感じているのです。

 

 

 

 

 

 

 

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと
思って下さると幸いです。

 

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