参りも参ったり、40数柱
~疎外感や孤独を感じている人たちへ~
パソコン教室を営んでいる
和田基博と申します
小竹町勝野地区の貴船神社を出て、郷社亀山神社へと行ってみました。
小竹駅手前の交差点から左へ曲がり工場の前を通り過ぎたところに
神社の鳥居がありました。
初めて参拝する神社でしたが、何処か懐かしさのあるデジャヴ感を覚えたのでした。
祭神は大歳神、倉稲魂命で創建等は不詳ですが歴史のある神社のようです。
駐車場はあるかなと見てみると鳥居の左横から車が入る道が見え、そのままゆっくりと
車を進め、二の鳥居を過ぎたところに境内への入り口があり、バックして
鳥居の手前のスペースに止めました。
境内入り口の三の鳥居で祓いを奏上し境内へと入って行きました。
境内すぐ右手に鳥居が二つあって境内神社があるのが見え、境内を進んでいくと
右手に社務所、その先に社殿本殿がある境内へと入りました。
すぐ左に手水舎があり、水の元栓は止めてあるようでしたが、水が溜まっていて
キレイではありませんでしたが、柄杓で掬って左手、右手を清めた後、形だけでもと
口にはつけずに祓い清めました。
社殿左手には多数の境内神社があり、境内に落ちている枝を片付け、拝殿前に立ちました。
深揖(深めのお辞儀)をし、二礼して鈴を鳴らし、賽銭を入れ、それから住所、氏名、
年齢、初参拝に来たとことを述べ、天津祝詞で禊祓いました。
続けて三拝、大祓詞、三拍手、一拝、同じく三拝で神社拝詞と奏上してお参りしました。
拝殿には、お祓いの案内や参拝する人のためにセルフサービスで
お神籤が置いてありました。
左手の境内神社が気になり、お参りしようと行ってみました。
境内神社前には大きな枝が落ちていて、お参りする前に寄せ集めて片付けました。
境内神社には八幡宮、天満宮以外に表示がなく、8社それぞれに略拝詞を奏上して
お参りしました。
拝殿神殿、周りの木々、境内を眺め、神氣に癒されているのを感じて感謝を覚え、
法螺貝を吹き鳴らしました。
谺と共に法螺の音が消えると、神社向かいにある工場から聞こえる音が戻ってきました。
手水舎の横に「幸福の夫婦銀杏 女性」と境内を挟んだところに「幸福の夫婦銀杏 男性」の
神木があり、それぞれに略拝詞を奏上すると、魂の片割れのことが思い浮かんできました。
拝殿に向けて一礼し、またお礼参りにまいりますと述べて境内を出ました。
三の鳥居前で二つの鳥居がある境内神社がここでも気になり、その場所へ行ってみました。
疫神社と貴船神社の扁額を見て、今日は目尾、小竹町勝野両地区の貴船神社の
高龗神と闇龗神に導かれたのかなと感じたのです。
境内神社前あたりに落ちている枝を片付けたあと、鳥居之祓を奏上して鳥居をくぐり、
疫神社に天津祝詞、神社拝詞を奏上しました。
そのあと貴船神社に天津祝詞、神社拝詞、高龗祝詞を奏上して
導きに感謝してお参りしました。
亀山神社を出て、帰り道同級生がアルバイトをしていた飲食店に立ち寄ってみました。
駐車場に車を止め店の扉を開けてみると、ケガをして店を閉めていると思っていたのが
営業を再開されていたようです。
トンカツとカレーが美味しい店でこの近くに来た時にはお昼を食べていました。
夕食のおかずにトンカツでもと思い、厨房に声をかけてみました。
主人が顔を見せ、「トンカツテイクアウトできますか?」と尋ねると、
「もうそろそろお店は閉店で、すみません」と言われましたが、
私のことを誰か分からず一元さんかと思われたようです。
アルバイトをしていた○○くんとは昨年秋の同窓会で会ったことを話すと、
やっと思い出してくれたようで、彼が重い病気にかかり同窓生から
励まされていたことなどを話したことから、知らなかったそうで
彼の家を訪ねてみるよと言っておられました。
今日はこの店の裏の神社を訪れたこと、駐車場がないことから
お参りの最中だけお店の駐車場に止めてもいいですか?」と聞いてみました。
「もちろん、駐車場がいっぱいのお昼時には気を使いますので」と云うと、
気持ちよく「いつでも止めて良いよ!」と快く了解してくれました。
濱生神社から目尾貴船神社、勝野貴船神社、亀山神社とお参りし、境内神社や
無名、由緒不明の祠にもお参りしたので、エクセルファイルに
どの神にお参りしたのかを記録していますが、帰ってから境内神社や祠等を調べて
つけていると、驚いたことに、飽きる程行が連なり、この3年間で最高の
40数柱お参りしていたのでした。
過去の経験から言うと、神社巡りを始めて拝殿、本殿だけをお参りし
次々と隣の神社、その近くの神社と神社巡りをした方が、
呼ばれた感を感じることが少なく、
疲れたと感じることも多かったような気がします。
しかし、これもたくさん参れば良いというわけでもなく、
神に呼ばれたと感じることが大切だと思うのです。
日によっては村社だけの時もあり、呼ばれていないと感じる日もあったりします。
実際にその神社へ行って自主的に、枯葉や枝を片付け、掃除をしているのもありますが、
それ以上に、「世のため、人のために、尽くさしめ給え」と幾度となく奏上してきた
祝詞の1文に集約され、何かの役に立っているのかなとも感じるのです。
少しでも、何か参考になったとか
興味があるとか気が落ち着いたと
思って下さると幸いです。
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