祝詞の神さまに祝詞を奏上
~疎外感や孤独を感じている人たちへ~
パソコン教室を営んでいる
和田基博と申します
龍王林道から八木山(やきやま)地区の老松神社、大山神社、
若宮市に入り葛城(かつらぎ)神社、幸袋柳橋地区の五穀神社、
王谷郷、濱生(はまお)神社と参拝しました。
そのあと、その近くの目尾(しゃかのお)地区に同級生がいる食堂へ行ってみましたが、
残念ながらお店は締まっていて月曜日は定休日で休みのようでした。
家を出る時には天児屋命(あめのこやねのみこと)が祭神の撃鼓神社へ行って
祝詞の神さまに祝詞を奏上しようと思っていたのでしたが、
直感に従って導かれるまま楽しくお参りしたのです。
これらの神社の途中にも他の神社はありましたが、気にも止まらなかったことから
呼ばれたことを感じたのです。
お店の駐車場で休みと営業時間の案内を見てUターンして、
やっと本日目的の撃鼓神社へとやってきました。
一の鳥居から境内までに3つ鳥居があり、ちゃんと?入り口から歩いていくには
少し遠過ぎ鳥居を運転しながらくぐるので、会釈だけして
いつも車で駐車場まで入っていきます。
駐車場は三の鳥居の手前にあるので、三の鳥居で鳥居之祓を、
「神の坐す~…」と奏上してから境内に入っていきます。
王谷郷、郷社の総本社であり各地域には濱生神社、石道神社、大谷神社、
飯塚市の観光名所である石炭王の伊藤伝衛門邸近くの
許斐(このみ)神社などそれぞれ郷社があります。
境内に入って左手にある本殿が笛吹権現、境内から続く300段くらいはあるでしょうか、
石段が途切れ途中には山道もあり、長い石の参道を登った白旗山の
中腹にある祠が上宮で皷打権現と呼ばれているそうです。
祭神は天太玉尊、天児屋根命、 天細女命が祀ってあります。
この地域の氏神さまで、芸事の神様でもあり天岩戸開きにかかわった
記紀に登場する天津神です。
時折上下宮とも参拝するのですが、普段Yシャツにスラックス、
革靴を履いているスタイルなので、上宮を参拝するときは
ジーンズなどラフな格好とウォーキングシューズを履いて登って参拝していますが、
大祭以外で上宮に参拝する人はほとんどいないようです。
今回は下宮の笛吹権現でお参りし、上宮へは年内に行ければ良いかなと思っていて
神社近くには団地もあって親子連れでお参りに来ている人たちを見かけますが、
どうやら参拝者は私一人だけのようでしたので、作法通り手水舎で清めて、
拝殿で賽銭を入れた後、住所、氏名、年齢、性別とお参りに来たことを
感謝の気持ちで述べ、天津祝詞で禊ぎ祓い、大祓詞、トホカミ、ひふみ祝詞、
タカマパル、天地真理観、神社拝詞、警蹕とゆっくりと奏上しました。
写真を撮らせてくださいと念じ撮影するためにスマホを取り出して見ると
時計は30分くらいかかったでしょうかそれもあっという間に終わった感じでしたが、
それだけ祝詞に集中することが出来ていたのを感じました。
祝詞の最中も神氣は強く、意識していないのに体は揺れて、髪の毛が引っ張られ
クラウンチャクラが開いていると感じ、ビリビリジンジンとした体に感じる感覚と
高い耳鳴りの中、思考には宇宙の中心へと続く眩しい光が
イメージとして流れていました。
光のワークでグレートセントラルサンと繋がる時の
光の中を進んでいるイメージと同じです。
拝殿奥の扉は閉まっているものの感じるものは安らぎと
暖かいものに包まれている安心感に感謝が
自然と湧き出てくる不思議な感覚です。
毎日村社や何処かの神社や仏閣、祠やお堂、時には何もない大木で感じるものは、
同じような感覚で、自然と湧き出る感謝の気持ちと、ただ感じることが
幸せに感じるから飽きることもないような気がするのです。
それを自然、神や仏の働き、引いては宇宙に守られているということだと
感じているのです。
祝詞が一つ終わるごとに、思考には文字や祝詞の事が出てきます。
最後は祝詞ではありませんが、警蹕と文字として浮かんでくる、
または「おおおお~」と思考に浮かんでくるので警蹕を音霊として発します。
警蹕は神を降ろすときに神職が行うというものですが、
自分では畏れ多く感じ鼻からそんな意思はないのですが、
息を吐き切ったときに口角を上げて鼻から思い切り吸い込むときに、
ズンと感じるものや苦いものなどその時によって違いますが
何かが入ってくる感覚があります。
それが何を意味するのかは分かりませんが、神の領域、神のすること、
神の働きは分からなくても良いと参拝を続けているうちに、
思うようになっていきました。
有り難いことに記憶力の良さと思考の回転について、
人と比べるのもあまり意味を為さないことは理解していますが、
よくいろいろ考えて、また考えて、終いには、考え過ぎ!と
自分でも思うことは多々あります。
物事を突き詰める「何で?」、「何で?」という探求心、
がポジティブに向くようになったことが私の中での大きな変化です。
それが難しすぎて理解するのに学問の体系を学ばなければいけなかったりすると
興味のあるものには突き進むものの、そうでない場合はネガティブに感じ、
そのまま諦めたり投げ出したりすることも多かったように思います。
結果、自分自身を好きになれた大きな要因で頭や思考で考えるのではなく、
感じることの大切さです。
境内で法螺貝を上宮の皷打権現に向けて吹き鳴らした後、
上宮へ続く石の参道前で一礼したあと、神社を出ようかと思って身を翻した時
その隣の天満社が気になり、お参りしたのです。
この神社に参拝に来出して2年ほどになりますが、
境内神社に参ったことはありませんでした。
神門前で鳥居之祓、入って天津祝詞、神社拝詞を奏上しました。
それからその隣の祇園社でもお参りしました。
何れも祭神は天満天神様の菅原道真公と素戔嗚尊(すさのおのみこと)で
村社にも境内神社としてありますので慣れた感覚でお参りしました。
それから撃鼓神社を出て同じ地区の水祖(みおや)神社へと
龍神祝詞を奏上すると思考に出てきて、お参りに行きました。
自分で行くにしても神に呼ばれるにしても
お参りできるという事は私にとって幸せな事なのです。
続きは次回以降アップしていきたいと
思いますので
少しでも、何か参考になったとか
興味があるとか気が落ち着いたと
思って下さると幸いです。













