一日中おおはらえ | 希望と光のブログ

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します

 

 

 

 

 

朝起きてと寝る前に神棚で禊祓詞と大祓詞を2遍、

 

そのあと神棚拝詞、トホカミ・ひふみ祝詞、時には龍神祝詞まで

 

奏上するのが楽しみになっているのです。

 

 

 

がしかし、そのあと外に出て神の祓詞、そしてお日様が出ていれば

 

太陽を浴びて十言の神咒、それからお堂での先祖供養まで終えた時に、

 

受講時間が迫っており、カタカムナとグラウンディング、

 

光のワークまで回らなくなって、慌てて生徒さんを迎え入れる

 

ということになったりします。

 

 

 

時間が足りないならもっと早く起きてやればいいかなとも

 

考えたりもするのですが、ルーティーン化するのに

 

抱え込み過ぎているのを分からんのか、アホかお前は!と

 

自分でツッコミを入れたりするのです。

 

 

 

 

神棚以外でも大祓詞を空で言えるように、完ぺきに覚えるようにまでと

 

時間があれば唱えるようにしていて、カンペを見なくても、

 

途中を飛ばしたり又は同じ文言を繰り返したりして

 

何とか間違えながらでも最後までは行けたりしますが、

 

気がつけば時間があれば大祓詞に集中しています。

 

 

 

 

一般的な大祓詞だと、天津罪、国津罪の文言が無いのと、

 

天津祝詞の太祝詞事がないので短く感じますが、古神道の大祓詞で

 

覚えるようにしたほうが良いと思っていて、

 

省略するのは何時でも出来るような気がするのです。

 

 

 

 

 

 

元はと云えば一昨年、神社仏閣に出来るだけ参るようにと

 

メッセージを受け取ってからが始まりだったのですが、

 

お寺や仏閣に行くのは勤行やマントラを覚えていたこともあり、

 

困ることもなかったのですが、神社に関しては祝詞と云えば、

 

天津祝詞だけは知っていましたが、祝詞もたくさんあって

 

奏上する意味や神と繋がる言霊として、覚えた方が良いと

 

導かれてきたような気がします。

 

 

 

思うに宗教としての神道、そして仏教の宗派があり、宗教としての

 

神社仏閣だけではなく、古神道としての神社仏閣を持たない

 

岩や川といった自然を神として崇め祀る形で、宗教を生きる道として

 

捉え神や宇宙から導かれていると感じているのです。

 

 

 

 

例えば一つの宗教団体、かつて真言宗のお寺のお手伝いをして

 

行事などに参加していましたが、それにはやはり護摩木を知人に勧めたり、

 

何かを寄進したり、経済活動へ繋がっていくことや

 

信仰するものが、心の何処かで何かしら人から与えられたもの

 

という制限を感じていたのです。

 

 

それはそれで否定はしませんが、お坊さんになることを得度、と言いますが、

 

私は師匠の住職から勧められても得度はしませんでした。

 

 

 

 

それは今私がこうして宗派に囚われずに参拝出来ていることがあるために

 

得度しなかったと思っていますし、住職夫婦、他の僧侶たちから

 

教わったことや信者さんたちともいろいろな思い出や出来事など

 

大切な思いはありますが後悔はないのです。

 

 

 

 

Light Workerとして生きる道を提示され、それを受け入れ、

 

見える存在だけでなく、見えない存在たちからも

 

私は愛されていることに気づけたことが

 

私の生きる意味へとつながっていると感じているのです。

 

 

 

不平、不満、愚痴を発したくなるような感情になり、差別やイジメといった

 

他からの物理的精神的攻撃を受けたことによる怒りや恨み、また妬みや

 

不快なネガティブな感情がどういう意味を持ち、それを感じているのかを

 

宇宙や神々、高次の存在やハイヤーセルフに教えてもらったことで

 

気づけたことが私自身の宝物であると思うのです。

 

 

 

 

それは人間社会でも同じで何かをしてもらったり、愛情を差し向けられたら、

 

その恩に報いようとするのが正しい道であると、自分自身に

 

できるだけ正直に生きようと思ったのです。

 

 

 

おかげでかつては大嫌いだった私が自分自身を信じることもできず、

 

不条理や不幸と感じる出来事に対して、許せるようになっていきました。

 

 

 

 

周りを許せるようになると今度は徐々に自分を赦せるように

 

意識せずになっていったのを感じています。

 

 

 

 

逆からみればそういう出来事がないと気づかせてもらえなかった

 

という事が分かります。

 

 

 

それにはもっとも大切な事、自分があって

 

今生きているこの世界があるということです。

 

 

 

一番大切にしなければならないのはエゴではなく、魂が感じている

 

自分自身を大切にすることが、自分軸だと思うのです。

 

 

 

魂が感じている自分自身は、私の中の神様、分け御霊、仏性、真我という

 

言い方は違えど、明るくポジティブに生きていくエネルギーを

 

発するものでは無いかと思うのです。

 

 

 

最近受け取ったマントラ、「この世界の救いは私にかかっています」は、

 

ありふれた言葉ですが、これが言霊として威力を発揮するのは、

 

自分軸を発揮したときです。

 

 

自分自身の心を救えなくては、他は救えないのです。

 

 

 

 

 

「神は自分を助けるものを助ける」と同じ意味になると

 

私は受け取ったのです。

 

 

 

それにはエゴや欲を排した無償の愛が必要と感じるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 

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