村社で法螺吹いてくれ | 希望と光のブログ

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思いついたことを書いていきます。

村社で法螺吹いてくれ

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します

 

 

 

 

 

夕暮れ時、村社にお参りに行き、拝殿で

 

天津祝詞、神社拝詞、とほかみ、ひふみ祝詞を奏上し、

 

氏神さまと産土の神々に感謝の気持ちで、

 

魂のあるものすべてのものが

 

愛と喜びに満ちますようにと祈りました。

 

 

 

 

こう書くと、本当にそんなことが思えるのかという人たちが

 

たくさんいることも認識はしていて、一昨年まで同級生のHO氏とは

 

ずっと一緒にいましたが、彼との波長が合わないと感じた時に、

 

私は来ても拒みはしないけれど、彼とは食事や

 

何処かに小旅行なども行かなくなりました。

 

 

 

 

彼は私が何処かの神社や仏閣に参拝しても、法螺貝を吹いても

 

何も言いませんでしたが、彼なりの云い方をすれば、

 

宗教に凝っているという誰かに植え付けられた見方をしているのを

 

感じていたのです。

 

 

 

それは世界を見ても宗教戦争や新興宗教といったものに見られる、

 

制限や決まりを他に押し付けられるのが嫌だったからだとも思いますが、

 

それを一緒くたにしていると思えたのです。

 

 

 

ある意味、宗教という形に囚われ、世間一般的に

 

そういった認識が植え付けられたもので、それでも葬式や法事などを

 

お寺や神社といったところに頼むだけのもので、

 

お寺に通い、いろいろなことを学んで実際に感じるまで

 

したくないといったことなのでしょう。

 

 

 

 

それでも彼は観光目的でお寺や神社にはご利益を求めていくのですが、

 

自分が理解の及ばないものは、触れたくないと思っているのが、

 

一緒に神社仏閣に行っているとよく分かります。

 

 

 

それは詰まるところ私の事も信用していないし、それが証拠に

 

彼はすべて何処に行くにしても何を食べるにしても、

 

彼自身は私のいくところならと生返事で、その責任を放棄して押し付け

 

私に決めさせるのです。

 

 

 

何より彼と一緒に参っていると神を感じ繋がれないことを

 

ずっと感じて来たのです。

 

 

 

やはり瞑想やワークと同じで、誰にも邪魔されない

 

特別な一人きりの時間が必要なのです。

 

 

 

 

波動が高くなってくると同じ波長に合わない人は去っていきます。

 

 

波動が高いということは、やることなすことが、

 

より自分のため、人のため、世のため、世界平和へと

 

意識は上がっていきます。

 

 

 

境内神社の祇園神社、天満社と拝詞を奏上した後、

 

誰かがやってきたことに気づきました。

 

 

振りかえると年配の男性の方と目が合い

 

こんにちはと挨拶しました。

 

 

 

猿田彦大神に祝詞とマントラを唱えている間、

 

拝殿でお参りされていましたが、お参りを終えたあと、

 

時折ここで法螺貝を吹いているのはあなたですか?

 

と聞かれました。

 

 

 

 

はい、そうです、と笑顔で答え、法螺の音は聞くものの禍や障礙を取り除き、

 

祓い清めるという意味があり、神に感謝を届けるものでもあります

 

と説明しました。

 

 

 

 

またこの村社の氏子でもあり、時折、神社下にお住いの

 

前貫主と話をすることなど話しました。

 

 

 

 

法螺を聞かせてもらえるかな、と言われ、

 

氏神様に法螺を立てても良いですかと念じて尋ねてみました。

 

 

 

 

頭に法螺貝が映像として浮かび、拝殿前で法螺作法を唱え始めると、

 

私の後ろに回られてじっと聞かれていましたが、

 

辺りの精霊たちの気を感じると

 

一音一音、丁寧にゆっくりと吹き鳴らしました。

 

 

 

吹き終えて法螺作法を唱え、過去、現在、未来とポンポンポンと手で鳴らし、

 

深く一礼して「神が働かないと音が出ないんですよ、楽器ではなく法具なので」

 

と笑顔で話しました。

 

 

 

 

おそらくご近所の方かなと思ったのですが、失礼しますと神社を出ていかれました。

 

 

 

 

村社を出てすぐ近くの地蔵堂へ行き。お参りしようとしていると

 

先ほどの方が犬を連れてお堂の前にやって来られました。

 

 

 

「お願いがあります」と仰ったので、何だろうと思い

 

「はい、何でしょう?」と私が答えると、

 

「村社の例祭の時に法螺貝を吹いてくれますか?」というものでした。

 

 

 

 

「私も氏子ですが、来られる方々が望まれるのであれば、喜んで吹きますよ」

 

と答えると、「祝詞は上げることができますか?」と言われました。

 

 

 

はて?、村社の宮司は椿八幡宮の宮司が代行しておられるが、と思い、

 

「大祓詞は完全に覚えていないのですが、書いたものを見ながらなら上げられますよ」

 

と云うと、「お金をあなたに払うからお願いするかもしれない」と話されたのです。

 

 

 

 

 

 

「氏子総会で前神主が高齢のため退任されたので、

 

椿八幡宮の宮司が代行されていることが決まっているのでは?」と私が言うと、

 

名前は云いませんが氏子の中で、代行神主が指定した時間に来られないことも多く、

 

椿八幡宮の祭祀を終えてから来られるので、

 

村社が下に見られているという不満を持っている

 

氏子がいると言われたのです。

 

 

 

私は即座にそれは筋が違うと答えました。

 

 

 

氏子会で決めたものを一部の人が言うからと、代行して下さっている

 

宮司に顔が立ちませんし、総会で祭祀の代行をお願いした以上、

 

それはやってはいけないのではないですかと答えました。

 

 

 

「失礼ですがあなたはどちらの方ですか?」と尋ねてみました。

 

 

 

苗字を聞いただけで村社のすぐ近くに住まわれている方で、

 

この方の父が、私の父が商売をしていたときの取引先であることが分かり、

 

この方のお父様は知っていましたが息子さんは初めてお会いし、

 

氏子会の会計を任されているということも知ったのでした。

 

 

 

「例祭は日曜日なので仕事がある時は行けないし、空いていれば行けます」

 

と云うと「頼むかもしれないし頼まないかもしれない」と曖昧な表現でしたが、

 

何れにせよ法螺貝を吹くにしても氏子会の総意と村社の祭祀を代行されている

 

椿八幡宮の宮司に了解を取らないと、私は神職の資格もないことを思うと、

 

受けない方が良いだろうと思ったのでした。

 

 

 

 

次の日、八幡様に御礼を述べるために

 

母の施設へ洗濯物の受け渡しの帰り、椿八幡宮に参拝しました。

 

 

 

 

その出来事などは、述べも意識もしませんでしたが、

 

お参りするだけで私の思いは神に伝わるだろうと何となく思ったのです。

 

 

神社拝詞とトホカミを奏上し、祭神の応神天皇と神功皇后に

 

繁栄と弥栄を祈りました。

 

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 

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