撃鼓宮皷打権現で祝詞 | 希望と光のブログ

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撃鼓宮皷打権現で祝詞を奏上

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します

 

 

 

 

 

 

とある休日の午後、庄司地区の水祖神社を出て撃鼓神社へとやってきました。

 

 

大きな一の鳥居から続く道の右手には住宅、そしてその奥には

 

大きな団地がありますが、何時も子供たちが遊んでいて心を和ませてくれます。

 

 

 

 

 

鳥居前の駐車場に車を止め、法螺貝を持って境内に入り、

 

鳥居をくぐって正面の皷打権現の石段を登って行きました。

 

 

 

 

 

登ることばかりに集中すると息が切れるのですが、

 

石段を枯葉や枝を参道から除けていくと、

 

時々立ち止まるので、あまりキツくは感じないし、掃除をしながらなので

 

一石二鳥なのです。

 

 

 

 

今年になって下宮は一度参拝しましたが、上宮は初参りとなり、

 

ワクワクしながら石段を上ると、それから山道、

 

また200数十段の石段と中々長い参道なので、普段は下宮が参拝者の

 

お参りする社なのでしょう、拝殿も立派で、まさに王谷郷総本宮、

 

撃鼓神社です。

 

 

 

一般の方もあまり笛吹権現や皷打権現とは言わないようで、

 

撃鼓神社と言えば御朱印が授かれる社務所がある下宮のようです。

 

 

 

石段を登りきると鳥居の向こうに上宮の祠が見え、体にビリビリとした感覚で、

 

神が働いているのを感じていました。

 

 

 

 

一礼して氏素性、お礼参りに来たことを述べ、

 

天津祝詞、神社拝詞、とほかみ、そして夢に出て来た、

 

ひふみ祝詞を奏上しました。

 

 

 

古神道では音程に抑揚をつけ、それぞれに印を結んで奏上するそうですが、

 

はっきりとした決まりが無いのも古神道だそうで、祝詞を奏上することによる

 

言霊として神に届けば良いと感じたので、そこまでは覚えなくても

 

良いかなと感じたのです。

 

 

 

 

ただ大祓詞などでも罪の内容や「~天津祝詞の太祝詞事を宣れ」、の後に続く

 

詞が抜け落ちていて、「かく宣らば~」と続けてあるのですが、

 

そこに当て込む適切な言葉は決まっておらず、布留部やとほかみなど

 

思うように唱えればよいようです。

 

 

とほかみも、天津祓の、吐普加身依身多女(とほかみえみため)、

 

国津祓の寒言神尊利魂陀見(かんごんしんそんりこんだけん)、

 

蒼草祓(ひとあおくさのはらひ)の

 

波羅伊玉意喜餘目出玉登(はらいたまひ、きよめでたまふ)」で、

 

三種祓詞(みくさのはらえことば)では

 

天祖神(とほかみ)は天之御中主・恵霊玉(えみため)・産土神(とほかみ)・

 

依身玉(えみため)・父母神(とほかみ)伊邪那岐・伊邪那美の神・笑愛玉(えみため)

 

・祓ひ玉ひ清め玉ふ」となっていたりします。

 

 

 

言霊を発する言葉は同じ言葉を使わないということから、

 

「とほかみゑひため」は「とほかみいぇひため」いうのが

 

正しいのではないかという説もありました。

 

 

 

あれこれ奏上してみましたが、私にとって「とほかみゑひため」が

 

神の働きを感じ、しっくりくるような気がするので、毎日神棚や神社、

 

または森の中といった自然の中で奏上するようになりました。

 

 

 

また神代文字や阿比留草文字、カタカムナ文字といった

 

古代文字を解析・分析した解説の仕方も多数あるのですが、

 

古代インドのサンスクリット語から中国を通して入ってきた、

 

例えば弁財天のマントラでは「おん・そらそばていえい・そわか」で

 

「オウム・スラスヴァティ・スヴァーハ」のように音が変化した

 

諸尊の真言やマントラと同じで、その意味を知らずに、

 

あまり原語と違った言い方をしても、大切なことは言葉を発する行動、

 

行為を実際にすること、そして奏上するときの

 

心の在りようの方が大切なように思えるのです。

 

 

 

 

参拝し終えて深くお辞儀をして頭を上げた時、

 

癒しの気持ちに包まれていました。

 

 

 

感謝を覚え法螺貝の紐を手に巻いて法螺作法を唱え、

 

ゆっくりと息の続く限り一音一音吹き鳴らしました。

 

 

 

谺が響き渡り、下界、上宮の神、そして天空の大宇宙の彼方に届く

 

感じが伝わってきて、何か一つ、それが何なのかは分かりませんが、

 

やり遂げた感覚を覚えたのでした。

 

 

 

鳥居をくぐりしばらく頭を下げたあと神恩感謝と述べ、参道の石段を下りて行きました。

 

 

 

下まで降りてきて下宮の鳥居をくぐり、拝殿で神社拝詞と、とほかみを奏上し

 

お参りしました。

 

 

鳥居を出て一礼していると、年配の方が通りかかり、

 

関係者の方かなと思って「お参りさせてもらいました」と笑顔で言うと

 

笑って頷かれ、そのまま行かれましたので散歩中の人のようで、

 

神が使わせてくださったと感じたのでした。

 

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 

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