稲荷の神、宮森神社 | 希望と光のブログ

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します。

 

 

 

 

 

 

昨晩は次の日が休みだと、安心して夜更かしし過ぎて明け方まで映画を見ていて、

 

途中で何時しか眠ってしまい、目が覚めると朝の10時を回っていました。

 

 

 

 

掃除をするために勝手口を空けると二匹の猫たちが、ドドドーっと凄い勢いで

 

出て行ったのを見て、あとでご飯にするから早めに帰っておいでと

 

送り出しました。

 

 

 

 

冷蔵庫から、太陽光に当ててブルーウォーターをつくった瓶から

 

水を注いでコップに入れ、B型肝炎、高血圧、糖尿病の薬を、

 

4週ひと月分入れてあるケースから今日の分を取り出して飲み、

 

今日一日の始まりです。

 

 

 

 

あ、生ごみ出し忘れた、と収集袋にゴミを脱衣場やトイレ、教室部屋と

 

あちこちからかき集め、午後から収集に来るところへ持って行こうと

 

車に積み込みました。

 

 

 

 

収集車が来るのは遅くても9時半くらいまでなのです。

 

 

 

そのまま塀の脇にあるダストボックスにふたを閉めて次回の収集まで

 

置いておいても良いのですが、やはり冬でも生ゴミは臭うといけないので、

 

出し忘れた時でもお昼から回収する隣組の知人の回収場所に

 

置かせてもらうことを頼んで、引き受けてもらうことを

 

了承してもらっていたので安心なのです。

 

 

 

 

 

神棚に、昨晩セットしておいた炊き立てのご飯をお供えして祝詞を奏上し、

 

三宝荒神の神棚、外に出てお堂にお供えして般若心経を唱え、

 

先祖供養しました。

 

 

 

お堂での供養も朝晩、毎日やらなくても、週一で、月初めや月半ば、

 

月の終りが近くなれば、やれればいいとあまり負担にならないように、

 

考えてはいたのですが、ほぼ毎日朝だけは、お勤めはしなくても

 

般若心経一遍だけは欠かさずに唱えるようになってしまいました。

 

 

 

 

先日嘉麻市の高木神社の宮柱の役をされている生徒さんに

 

近々神社へ参拝に行きますと言っていたのを思い出し

 

 

出かけることにしました。

 

 

 

 

まず銀行のATMへ行ってお金を下ろし、手作りのキムチを

 

釣りの師匠から頂いていたのですが、それを入れていたタッパーを返しに

 

お宅へ伺うことにして、何か手土産をと出先のコンビニに寄ろうとしたのですが、

 

先に入った車が最後の空きスペースに入ると、そのコンビニの駐車場は

 

50台ほど止められるスペースがあるのに、しばらく待っても空きが出ずに、

 

いっぱいで止められませんでした。

 

 

 

 

 

何か有名なお店ではそういうこともあるのですが、スピ的には

 

波動が高かったり、オーラやエネルギーが強いと

 

招き猫になったりするみたいなので、次の店を探しに行ったりしますが、

 

コンビニで駐車できないというのは初めての出来事でした。

 

 

 

 

しばらく車を走らせその先のコンビニで野菜ジュースを2つご夫婦にと買い、

 

師匠の家に立ち寄ってタッパーと一緒に手土産を渡しました。

 

 

 

 

あまり時間がないからと師匠の家を後にして走っていると、

 

脇道へそれるように右、右と思考に浮かんだので、

 

そのまま狭い道へ入っていくと

 

朱色の鳥居がたくさん並んだ稲荷系の神社の

 

裏手に出てきました。

 

 

 

へえ、こんなところにお稲荷さんの神社がと思い、表に回ってみると、

 

コミュニティバスの停留所、その公園の横に入り口があって

 

宮森神社と扁額にありました。

 

 

 

稲荷神社ですので、祭神はと、より詳しく調べてみました。

 

 

 

 

この神社は他所から大正時代に移設されたそうで、

 

祭神や詳細は不詳とあり出ていませんでしたが、稲荷神社としては

 

古事記、日本書紀などの日本神話に記載される

 

宇迦之御魂神(うかのみたま、倉稲魂命とも)、豊宇気毘売命(とようけびめ)、

 

保食神(うけもちのかみ)、大宣都比売神(おおげつひめ)、若宇迦売神(わかうかのめ)、

 

御饌津神(みけつのかみ)など、穀物・食物の神を主な祭神とし、

 

稲荷神が稲の神であることから食物神の宇迦之御魂神と同一視され、

 

後に他の食物神や江戸時代には荼枳尼天(だきにてん:Red Dakini)とも

 

習合したため同一視されたとありました。

 

 

 

 

 

荼枳尼天は性を司る女神でもあり、私がスケベなのはその所為にして

 

納得がいくと笑ったのです。

 

 

 

性に関することは生きる源でもあるのですが、獣のオスとして

 

あまり強すぎてもコントロールできないほど抑制できない、

 

男性特有の犯罪ともなり、他人に迷惑を掛けたりするのは、

 

その相手に嫌がられることだけはしないように

 

当たり前の事ですが、理性で抑えるよう心に決めているのです。

 

 

 

それに加えて私にはB型肝炎ウイルスがあり、医者に言わせると

 

抗体ができない体だそうで、ウイルスが活性化している時には

 

性交渉の相手にうつす危険があるというストッパーがあるのです。

 

 

 

Sexをしたいときには、かかりつけ医に相談し、その相手に

 

ウイルスに対する検査をしてもらう必要があるのですが、

 

何十回という入院経験から、相手にうつす可能性があると思うと、

 

これも一つの障害でしょうか、勝手気ままにはできないのです。

 

 

 

 

それでも還暦を過ぎても毎朝ビンビンに勃起するほど元気が良いのも、

 

スケベは健康である特典だと思っています。

 

 

 

 

 

冗談はさておき、勤行で何度か荼枳尼天のマントラを唱えてみましたが、

 

ある時期以降は思考に出て来なくなりました。

 

 

 

以前から導かれてみるものに荼枳尼天の守護があるというのが

 

頻繁に出てきて、不思議に思っていたのですが、ここで稲荷神と繋がるとは

 

思ってもみませんでした。

 

 

 

時折参拝する幸袋の許斐(このみ)神社では、本殿の入り口に稲荷神社があって、

 

行った際には何故かここだけお参りするのです。

 

 

 

それ以外の神社では、お稲荷さんを祀っている神社も多いのですが、

 

昨年1400余柱とこれだけ参っていても縁がなかったのです。

 

 

 

 

一の鳥居で鳥居之祓、それから鳥居ごとに一礼して

 

くぐった都度何かが変わるのを楽しむように神域を感じ

 

社前で初参拝に対する感謝を述べ祝詞を奏上しました。

 

 

 

 

お稲荷さんの神社では朱の鳥居が幾重にもあるのですが

 

出るときも20数基あるでしょうか、出ては振り返り一礼を

 

面倒とは思わずに、また来てみたいという感覚を覚えたのです。

 

 

 

 

 

その時々で呼ばれるのには

 

意味があることを実感したのでした。

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 

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