和布刈神社参拝 | 希望と光のブログ

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

 

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します。

 

 

 

 

 

 

今年も残すところあと1週間、遠くの神社で授かったお札は

 

まだ返し切れていないのですが、年始に行っても良いし、

 

行けない場合は同じ系列の祭神の神社へ納めに行くか、

 

どうしてもダメな時は村社のどんど焼き、旧お札やお守りを

 

焚き上げる神事があるので、そこに出しても良いのですが、

 

なるべく自分でその神社へ行って納めたいのです。

 

 

 

 

受講予約もキャンセルとなり本日は11時過ぎから時間ができたので、

 

電話を待って飛び込みを受けるのも、今日は勘弁

 

と車に乗り込んでお昼前に出かけたのでした。

 

 

 

 

出かけてすぐに車の中で聞き慣れない猫の鳴き声がしたのですが、

 

猫たちは家に居て、家の猫たちの鳴き声ではないし、

 

と思いましたが、また鳴き声が聞こえてきました。

 

 

 

 

あまりにリアルに聞こえたので、車に乗り込んでいるのかなと

 

止めて確かめましたが、何処にも姿はなく、どこか近くにいた

 

猫の念を受け取ったようでした。

 

 

 

 

 

耳鳴りが一層高くなり、

 

「付いといで、今から神様に会いに行くから」と話しかけて、

 

直方市に入って都市高速に乗り北九州の門司方面へと

 

車を走らせました。

 

 

 

 

久しぶりに80km出して良いのですが、法定速度通りに走って、

 

車間距離をしっかりと意識して

 

安全運転で自動車道を走っていきました。

 

 

 

 

 

先日、阿比留草文字、ホツマ文字を調べていた時、

 

天児屋根大神(あめのこやねのおおかみ)の祝詞が

 

ひふみ祝詞であることを知って、これ幸いとばかりに、

 

マントラや祝詞を覚えるのによい機会だと思っていて、

 

うろ覚えだった、ひふみ祝詞を繰り返し、

 

空で言えるように覚えようと繰り返し唱えていきました。

 

 

 

 

運転中は運転に集中しているので、信号待ちの時に唱えてみるのです。

 

 

 

ひふみで3文字、よいむなや、で5文字、

 

こともちろらね、で7文字というふうに区切って、

 

布留の言を付けたし、ふるべ、までを1セットで

 

調子をつけながら唱えていきました。

 

 

 

 

無意識に唱えるようになるまでは、なかなかいかず、

 

次の信号待ちで唱えてみると、えーと、と次の句が出ないうちは

 

まだ自分のものになっていないので、これを繰り返し唱えていきました。

 

 

 

 

祝詞もマントラの一つで、唱えるときの作法もあったりしますが、

 

とにかく興味があるうちはどんどん反復するのが

 

一番覚えやすいのかなと感じているのです。

 

 

 

 

真言としてのマントラは十三仏真言を始めとして

 

随分と覚えましたが、神社を巡り始めてからは、

 

祝詞がこんなにも多いものとは知らず、

 

以前は神社では天津祝詞1本で通していた感じで、

 

祓詞や大祓などは神社の神職が奏上するものだと

 

決めつけていたところもあったのでした。

 

 

 

 

導かれたこともありますが、祝詞は唱えることで

 

言霊として働き神に届けるものだということに、

 

100社以上の神社を参拝するうちに、気づいたのです。

 

 

 

 

届ける神というのは自分の御霊です。

 

 

 

神社の神を通じて自分自身に変化をもたらすために

 

言霊を発することで自分の中の神性、真我の神に届けるため、

 

言い換えれば自分に変化をもたらすため、自分を変えるためであると

 

理屈は抜きにして感じるのです。

 

 

 

 

でなければ神社へ行き

 

二拝二拍手一拝で済むのです。

 

 

 

神棚拝詞でも神社拝詞でも、

 

「世のため人のため尽くさしめ給え」という言霊は

 

Light Workerとしての使命を奮い立たせるものと

 

合致したのです。

 

 

 

それを毎朝晩奏上することによって

 

自分が此処にいること、

 

生きていることへの恩に報いることでもあると

 

私は思うのです。

 

 

 

 

 

一つは、人が神社へ行くのは、悩み事やモヤモヤがある時、

 

ご利益を求めていくなど、大半の人たちが神に縋りに来ている

 

のを感じます。

 

 

 

 

それが悪いと言っているのではなく、一般的には

 

そこまで神社の神様に思い入れることもないからで

 

それが、普通、だと理解します。

 

 

 

 

 

悩み事やモヤモヤがあっても良いのですが、

 

神にすがりに行くのではなく、神ができないこと、

 

神に成り代わり3次元的に、この身を使ってできることを

 

伺いに行くのが、美しい心のあり様として考え

 

神社仏閣に参拝しているのです。

 

 

 

悩みやモヤモヤは、お参りした後、境内などの神域や自然の中で

 

森やスピリットたちから癒しをもらえばよいのです。

 

 

 

 

 

インターを降りて和布刈(めかり)神社へとやってきました。

 

 

 

車からお札を取り出して拝殿へと行き

 

2組お参りを待って、

 

いつものように住所、氏名、年齢、性別、お礼参りと

 

古札の納めと来年のお札を授かりに来たことを述べ、

 

天津祝詞、神社拝詞を奏上しました。

 

 

 

そして関門海峡大橋がすぐ左上に見える海峡へ向いた鳥居をくぐり、

 

石段を波打ち際まで下りて空と海に感じる龍神さまに

 

龍神祝詞を奏上しました。

 

 

 

祝詞を唱えている途中、後ろで人の話し声が聞こえ出しましたが

 

不動心で祝詞を奏上しました。

 

 

 

二拝二拍手一拝のあと、振り向くと女の子2人と男の子一人と

 

パパ、ママという呼び方がぴったりの家族連れが

 

私を不思議そうに見ていました。

 

 

 

 

ニコッと笑って石段を登り、何事もなかったかのように会釈して

 

社務所へと歩いていきました。

 

 

 

お札を返し新しいお札を授かり、良いお年をと挨拶し社務所を出て、

 

車まで来ると、法螺貝を吹こうと、お札と入れ替えに法螺貝を取り出し

 

法螺作法を唱え、思い切り息を吸い込んで丹田に満たし、

 

口の息だけを吐き出しゆっくりと吹き鳴らしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

前回もその前の参拝も神社の上にある、めかり公園で

 

法螺を吹いたのですが、神社の神域で吹き鳴らす法螺は

 

良いなと感じたのでした。

 

 

 

和布刈神社の祭神は、瀬織津姫です。

 

 

時に、弁財天や龍神と同一視される神でもあり、

 

大祓の詞にも出てくる穢れを祓い清め流してくれる

 

女神でもあります。

 

 

 

私がこの神社に参拝に来て

 

神棚で祀ろうとお札を授かり

 

縁ができたのも龍王神からの導きであると

 

感じているのです。

 

 

 

 

 

 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 


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