~疎外感や孤独を感じている人たちへ~
パソコン教室を営んでいる
和田基博と申します。
7月はエアコンが壊れるといった
日頃あまりあることがない出来事がありましたが、
機械や設備といったハードな物はいつかは壊れる時が
やってくるもので、耐用年数というものがあり
消耗品という扱いをしますが、普段使っていると
有難いことに気づかず、当たり前になっていることが多く、
それは消耗品でも何でも物質はエネルギーを持っていますので、
昔から物は大事にしなさいという教えがあったように思います。
人はどうしても動くもの、生きているものに対しては
気持ちを向けやすい、例えばペットなどの動物に対しては
会話とまでは行かないまでも気持ちを通わせ愛情が湧きやすく、
動かないもの、例えば住んでいる家の中の部屋など
いつも使っているものは掃除をしたり手を入れて
大事にすると思いますが、屋根や屏などに愛情を向ける人は、
それに関わる業者であったりDIYで自作したなどを除いては
余りいなくて、普通は家自体として愛着を感じる程度だと思います。
そこにインテリアや装飾品を揃えたり、お花を飾ったりして
女性性を発揮することで、美しいと思えるものに
意識することが心地よいエネルギーをポジティブなのものに
しているような気がします。
女性性は男性でも持っていて、心理的・精神的な部分における
「男性らしさ」や「女性らしさ」のことで、どちらも1人の人間の中に
存在しており男女問わず誰しもが持っている性質で、
男性性は分析、評価、判断、論理、攻撃、支配、決断力、積極性など、
女性性は受容、包容力、共有、調和、安定、直感、感覚、感性、
柔軟性などがあります。
人によってどれが強いかは違っていて、男勝りの気性の女性や
三歩下がって人の後ろをついて行く男性もいたりします。
物や人に対して意識を向けた時、そのエネルギーに及ぼす作用が
感謝とそうでない場合では違ってきます。
一言で言うと、大事にする、ということになりますが、
大事にするということは、自分にとって恩恵があるから、
感じられるから人は大事にするのだと思います。
もっと言えば物質的な三次元の世界で利害があるからと
いうこともできますが、対極的に自己を大事にするという事は
とても素晴らしいことであり、自分を大切にできるから
自分の周りや係わったことや物に対しても大事に出来るのです。
それは、物だけではなく他人に対しても、利害や何かを気にせず、
ただ大事にするということが大切だと
私のハイヤーセルフは言うのです。
それには差別や偏見があってはとてもできない事で、
とても難しいことであると感じます。
それがたとえ不愉快なことをされた、尊厳を踏みにじられた、
虐めを受けた、これは理不尽だと傷つけられた場合でも
誰かに対して負の感情、怒りや恨みなどですが、
無理と感じたならば、怒りを感じても良いのです。
むしろ、怒らない方が、おかしい、思った方が
良いともハイヤーセルフは言い切りました。
その怒りを感じた思考が、本当に自分自身を大事にする事なのか
意識してみると、私は一歩引いて見ることが出来ました。
怒りに従ってジャッジして決めつけをせず、
ただ許そうと努めること、何もしなくても良いように、
できれば負の感情から離れること、物理的にも精神的にも、
つまり気持ちを切り替えて、自分のやりたい事や楽しいことに
意識を向けることが波動を落とさない事になるというのです。
これを思考で考えると、論理のすり替えになるなど
次元を分けずにそうなるのですが、思考と感情は
論理で図れるものでもなく、人の思考というのは
そんなものだとも教えてくれたのです。
そのために感謝の行動を常に心がけ意識することが大事で、
その方が心地よくて気分も良くいられるし
感謝できる自分を褒めるようにすることが出来るようになると
高次の存在は言うのです。
感謝は自分で意識して有難うと言うこと、そして何事かに
心が動かされ感銘、感動して自然と湧き出て来るものに対して
感謝をするものがあります。
私が世間的に噂による虐めを受け悩み苦しんでいた時、
地獄で仏に会うという言葉がありますが、
私は神仏に触れることで救われたという恩を感じていて、
神棚を祀り、先祖供養をし、神社仏閣に参拝して、
時には法螺貝を吹いて祓ったり清めたりして、
意識してかしないかは本当のところ思考で考えてもわからず、
ただ直感や魂が感じたままに、その恩に報いているような
気がするのです。
月末が近くなると自宅と教室、母が祀っていた三宝荒神の神棚に
お神酒やお米、塩、榊などを新しいものと
入れ替えをするのですが、無事一月過ごせたことに感謝する
日にちの区切りになっているのです。
自宅と教室の神棚の榊を取り換えた後、村社へ行って
お参りしたのですが、拝殿前に立った時から
体にビリビリとした感覚を覚えたのです。
いつもは一礼し賽銭を上げて住所氏名年齢を名乗り、
それから二拝二拍二拝の後、祝詞を上げ始めた時に
神が働いている感覚を覚えることが多いのですが、
いつもとは少し違った感覚を覚えたのです。
最近の変容後、異様に霊的なものを見ることが多くなり
それは子供の頃からずっと感じていた事なので
慣れてはいるのですが、それとは別に
景色に稲妻のような光が見えたり、太陽のような光が
何もないところに見え、これまでなかったようなことを
感じているのです。
お池の横の獣道から入っていき
いつか導かれて呼ばれ、誰もお参りしていないと思われる
豊国社と愛獄社に榊と水とお神酒を替えて供え、
それぞれに祝詞を上げ、感謝と共に
法螺貝を吹き鳴らしました。
続きは次回以降アップしていきたいと
思いますので
少しでも、何か参考になったとか
興味があるとか気が落ち着いたと
思って下さると幸いです。
