猛暑の中、太宰府天満宮参拝 | 希望と光のブログ

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思いついたことを書いていきます。

 

~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します。

 

 


 

 



 


 

 

大雨の後の晴れで、高気圧が2つ張り出して日本中が猛暑で

熱中症対策を呼びかけています。




今日は海の日で祝日でもありますが月曜日なので

教室もお休みなのです。





ホームページやブログ、SNS、メールなどの確認や更新を済ませ、

仔猫たちにご飯をたっぷりと食べさせ、エアコンをつけたままにして、

神様に会いに行ってくるからお留守番頼むねと、

昨年数回お参りしていた天満宮に

まだ行っていなかったなと思考に浮かび、

今年初めて太宰府天満宮へと出かけました。









太宰府天満宮は飛梅や心字池にかかる太鼓橋が有名で、

菅原道真公を祀った天満宮の総本宮であり、米の山峠を通って

飯塚市と隣接した筑紫野市から太宰府市へと

車で40~50分くらいの距離で、少し車が込んでいる時でも

1時間くらいで行けるのです。




 


何時行っても参拝者で賑わっているパワ―スポットで、

夕方時間のある時、または氏神様に呼ばれたと感じる時、

村社へ行くのですが、本殿に参った後、境内神社の祇園社、

それから天満社へとお参りするのが当たり前のようになっていて、

近場の神社でも、若菜の天満宮、豆田の天満宮、

徳前、八木山、津原などのあちこちにある老松宮も天神様、

菅原道真公を祀った神社も多くあり、それはこの地が

大宰府の管轄領でもあった事からだと思いますが、

今年になってまだ参っていなかったので、いつか総本宮の

大宰府天満宮へお参りに行きたいなと村社でお参りした時に

思っていたのです。




 



猛暑の中、駅前のパーキングに車を止め、写真を撮る事を

お許しくださいと念じて鳥居をくぐりました。




ちょうど海の日の祝日だからか参拝者も多く、

まっすぐに歩けないほどの人出でしたが、行列で並んでいる

人たちや参拝者で賑わう参道を歩いて行きました。


 






気温と湿度が高く汗がすぐに出てきて、出てくる前の10時過ぎに

教室裏の温度計がすでに34度でしたが、もっと上がっていると

思うだけで、暑いなーと独り言を言いながら、それでも参拝者の

多さに人の顔が直接写さないように、しばらく待ったりして

気をつけながら写真を撮って楽しめたのです。





拝殿前に来るとお参りしている人が急に少なくなり、

1組待つだけでお参りが出来るようになりましたが、

太鼓が鳴り、お祓いの祈祷が始まりました。




私のすぐ真上を1匹のツバメが通り過ぎるのを見て、

神の使いに感謝を覚え、お参りできたことに

神恩感謝の意を述べました。









祈祷の邪魔にならないように小声で天津祝詞を上げ、

神が働いている感覚、拝殿の奥に神を感じ取り、

幣殿が近寄ってズームされる感覚と

体のあちこちにビリビリする、体に何かのエネルギーが

通り抜けるといった感覚を覚えたのでした。









参拝が終わり、あまり待たせてはいけないと後ろを見ると

私の列の後ろには誰もいなくて中央の列に数組が

お参りしているだけで、これだけの多くの参拝者があるにもかかわらず、

私にゆっくりと祝詞を上げることが出来て、

楼門の後ろから集団がやってくるのを見て、神の計らいに

感謝を述べました。





心字池にかかる太鼓橋を渡る時には、しばらく待たないと

いけないほどの人の行き来があり、太宰府天満宮にかかわらず

何処の神社に行っても正中を通らずに左側通行でお参りしますので、

正面から来る人たちを端の方に寄って待ってから進むので、

お店が並ぶ参道まで来るのに少し時間がかかりました。





出雲大社や伊勢神宮、浅草の浅草寺や明治神宮のような、

と言えばわかりやすいでしょうか、祝日や大祭でなくても

人を呼び寄せるパワ―スポットです。




太宰府天満宮と言えば、梅が枝餅というくらい有名ですので、

弟と叔母に5個入りを2つ買い、駅前のパーキングへと戻ってきました。






そのまま来た道を引き返し、来るときに、大分八幡宮の参道入り口前の

道を通った時に気になって、帰りにお参りすることを念じていたのです。









駐車場に車を止め、境内神社の市来島神社で龍神祝詞を上げ、

天然記念物の神木、それから本殿に天津祝詞を上げお参りしました。






境内に戻ってきて精霊や神々と私の神性が一つになるように

法螺作法を唱え、法螺貝を吹き鳴らし、

神に感謝したのです。





それでも、若菜の天満宮で参拝している人に会ったことがない

小さな村社の神社でも、祝詞を上げ参拝している時には、

同じように神を感じ、ビリビリするような感覚を覚えますし、

神が働いていることに感謝の念が湧いてくるのです。






神仏は寺社やその規模など3次元的な物質としてあるのではなく、

内なる神が誰にでもあって、その働きそのものが

神や宇宙であることに気づくことができるのです。







 

続きは次回以降アップしていきたいと

思いますので

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと

思って下さると幸いです。

 

 


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