~疎外感や孤独を感じている人たちへ~
パソコン教室を営んでいる
和田基博と申します。
まだ梅雨明けしていない空模様の中、いつものように
傘を持ってウォーキングに出かけました。
時間帯によっては土砂降りとなって、教室裏でも排水溝の蓋から
ゴボゴボと音を立てながら水が溢れてくるのを
午前中に見ていましたのですが、おそらく川や用水路では
水かさが増していると思われますが、それくらいでは
ウォーキングを止めないのです。
幸い出かけるころにはポツポツと小降りになっていて
テクテクと歩いて行ったのです。
湿度が高いため汗がかなり出ていましたので、途中で
長袖の白いシャツを着ていたのを脱いでリュックに仕舞ったのでした。
隣町の老松神社でお参りし、その帰りに中高生たちの下校時間と
重なって集団ごとに大きな声で「こんにちは」を繰り返し
挨拶したのでした。
元気よく返事を返す生徒もいれば、騒ぎながらはしゃいで無視する子、
下やスマホを見て見ぬふりをする子とまちまちでしたが、
それでも数十回挨拶をし続けました。
これで分かることは返事をする子は、ちゃんとこちらの目を見て
挨拶を交わすのです。
そしていつもグラウンディングをするために寄っていた
公園の所まで来た時、何かを感じ、嫌な感覚を覚えたので、
公園に入り、その脇にある竹藪に入って法螺口を下に向け
法螺作法を唱えて法螺貝を吹き鳴らし、それから法螺口を上に向け
法螺貝を吹き鳴らしました。
法螺口を下に向けて法螺を立てるのは亡くなった霊のためで
供養の際に時々、直感や閃きでやることはありますが、
外でやることは余り無かったりするのです。
帰り着いて母の入所している施設へ洗濯物を受け渡しに行き、
そのまま何処かの神社仏閣に行こうかとも考えましたが、
村社の事が思考に浮かんだので、そのまま真っすぐに戻って
母の洗濯物を洗濯機で回しました。
車に乗り込み村社でお参りした後、お池の奥にある
豊国社(とよくにしゃ)と愛獄社(おだけしゃ)へと
境内から獣道へと入っていきました。
先日榊立てや盛り塩、お神酒は紙パックのものを奉納していたので
リュックに入れておいたお神酒立を取出し、
紙パックから移し替えました。
盛り塩は雨が横殴りで振り込んだのか、流れて水浸しに
なっていましたので、新たに粗塩を盛り、雨が入らないところまで
社の奥に収めました。
それぞれに祝詞を上げ、最後に法螺貝を吹き鳴らしました。
強い風が吹き、神が働いているのを感じて法螺作法を唱えました。
しばらくそこで佇んでいると、右手の森に人が歩くような
枝葉がパキパキと折れて踏んでいる足音が聞こえ、
立ち止まった音がしたのでしたが、誰もいません。
意識を向けてみても嫌な感じはしなかったので
そのままにして、豊国社と愛獄社に、またお参りに来ることを述べて
降りていきました。
村社でも境内からずっと離れているので
神域から外れていると思われ、
盛り塩をしたのでした。
以前から盛り塩をするとき、お皿に袋から直接入れて
先端を指でつまみ尖がりを作って供えていいたのですが、
昨年ささぐりさんのお遍路用品のお店に行った時に
盛り塩立てなる神具がありましたので、それを買って
粗塩を押し詰め、お皿をひっくり返して盛ると
指でつまむだけでは出来なかった尖りがすぐに出来る
優れものを使っていたのです。
お店では陶器製と木製のものがありましたが、どう違うのか
2つ買ってみて使ってみたことがありました。
陶器製は価格が安いからではないと思いますが、
私の使ってみた感想ですが、湿度の高い状態の時、
尖り部分が内側に残って尖りがなくなり、何回か
やり直さないと盛れない事があり、木製のものは
何時でも尖りの離れが良く、盛り塩が上手く作れる優れものである
ことが分かりました。
盛り塩もこの尖りの先端に大事な意味があるのです。
お池の横の道から注連掛柱の所まで来て、時間が立つのも忘れて
座り込み、ゆっくりと境内を眺め、目に見える景色も
透き通る感じがして癒され、心が落ち着くのを感じたのでした。
しばらくして氏神にお参りに対するお礼を述べ、
「神恩感謝」の言葉が自然と口からこぼれて村社を後にしました。
続きは次回以降アップしていきたいと
思いますので
少しでも、何か参考になったとか
興味があるとか気が落ち着いたと
思って下さると幸いです。
