信念を持つ その1 | 希望と光のブログ

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思いついたことを書いていきます。

 

~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します。




30年以上続いている私へのハラスメントがどういったものだったのか、

どういう経緯かを語る上で、何故このようなことが起きたのか

ということを考えた時に、過去に知り合った、私を恨んで噂、

それも人間性に対する悪評をまき散らして

私を貶めんとしているE氏という人物について

語らねばなりません。



E氏は当時露店で鮮魚を売っている露天商みたいなことを

やっていました。



仕事を通じて知り合った自動車販売業をしていた社長より、

知り合いしか行けない人なのでということで、

お酒を飲むことが好きだった社長に連れられて、

とある道路沿いにある掘っ立て小屋みたいなお店に

連れていかれたのが始まりだったのです。



ビニールハウスを自分で組み立てたようなその小屋で

昼は鮮魚を売り、夕方からお酒と料理を提供していて、

話してみると会話は自慢話が多くかったものの、

人の心をつかみ取るのが上手いという印象の人物でした。



私よりも一回り以上年齢は上でしたが、客よりも

自分がへべれけになるまで言いたい事を言い、

飲みたいだけ飲んでいたので、職人でも商売人ではない

自分だけの人間関係で自分が楽しむために

来た常連客と飲むことが生きがいのような人でした。



当時私は父から継いだ会社を経営していたのですが、

何回か訪ねる内に懇意になって彼の家にも

招かれるようになったのでした。



当時の私は30歳前で社長と周りから呼ばれ、世間的な物事について

成り行きに任せ、というより他人の気持ちに合わせて

生きていたように思います。


自分で云うのも何ですが、優しい性格からか、誘われれば

断ることも無く、経済的にもお金を出して奢ることも

相手のことも考えずにやっていたのです。



人から見れば世間知らずでお坊ちゃま的な私を、

変に知識だけはあるので論争になったとき

生意気なところはあるものの、利用しやすい人物ではないかと

自分でも薄々感じてはいましたが、当時の私は

自分を変えようともせずに生きていたような気がします。



彼は某国立大学を出て、遠洋漁業の実習や

諸外国へ行ってヒッピーのような、今は死語となりましたが、

浮浪生活者を指すのですが、そういう生活をしていたこともあって、

並の人よりは人生の何たるかを熟知しているようなことを

自慢していたのでした。



しかし会話をするうえで楽しくはあるものの、何かが欠けていると

感じていたのも事実でした。


何がかけているかと言えば、彼はお金に関して

自分でも発言していましたが、「お金に汚い」の発言通り

損得勘定を異様に気にしていたところがあり、親類から

数千万円の借金をしていることや嫁は地元の中堅企業で働いていて

稼ぎはあるし収入も自分より上なので、家に1銭もお金は入れた

ことがなく、そのあとに続けて、「凄いだろう」という言葉を

いつも言っていたことなど話していたことから、大事な事、

相手に対し無償ではない愛を向けていたのだろうと思ったのです。



ヒモという言い方でも良いと思いますが、それは彼のプライベートに

かかわる事で当人同士がそれで良ければ他人は何も云うべきではない

と考えていたのでした。



私はそのことについて彼に一言も言ったことはありませんが、

ただ彼には男性としてのプライド、この場合「誇り」でしょうか、

周りの人たちに発言して回るのは、どこか馬鹿にされる要因を

自らが作り出していると感じたものでした。



そういった場合、全部相手にすがる、出させるのではなく、

共同で少なくても良いから自分が汗水流して働いた

労働の対価であるお金を嫁のために使う努力をすべきことが、

美徳であり

徳を積み重ねることになるという考えが

対極にあると思うのです。



どう考えるかは彼が思うところであり、当然それを

彼に発言するとなると相手を傷つけることになるのを

互いに心では感じていたように思います。



言わないにしても思っていれば、それは態度や行動に現れるもので、

それが違和感を覚えたならば、その時点で付き合いを

やめるべきであったと思います。



彼との会話で「人間困れば何だってするし、例えとして、

石川五右衛門は釜風呂で刑に処されたときに自分の子供を下に敷いた。

だから信条や信念はあり得ない」と私に語ったことがありました。


生々しくドラスティックな考えではありますが

これは論理のすり替えであり、キリスト教徒の

踏み絵と同じであると私は思いますし

逆に親が子供を守ろうとして命を落とす事故も

あるという別の側面も見て行かないと

俯瞰できていないということが

わかります。




自分が金銭的に苦労し嫌な思いをしてきたことを

聞いたこともありますが、それは自分が困った時に

だれも助けてくれなかったし頼ることが出来ないからと、

理屈を置き換えることにもなります。




困っているから、というのは他ではなく自(おのれ)だけを考えて

苦労や苦痛をしたのは何かの所為だと思い込んでしまった

愛情貧乏だと私は思うのです。





故に人が困っているのを楽しみにもできると語っていたのは、

人が愛情を向けてくれなかったから、敵として捉え、

出る釘や生意気な自分を下に見る者は困れば良い

という考えに至り、自分で責任を取ることをしなかったと

彼に言いたのです。




 

続きは次回以降アップしていきたいと
思いますので
少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと
思って下さると幸いです。

 

 

 

 

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