【少しだけわかる様になってきたからこそ分かる本物のプロの凄さ】 | 姿勢やトレーニングに悩んだ方へ。【矯正王】姿勢と背骨のプロが語ります

姿勢やトレーニングに悩んだ方へ。【矯正王】姿勢と背骨のプロが語ります

軸をつくるボディワークスタジオBASE Conditioning Labo、せぼねや京都のオーナーが日々の事や、思ったことを綴っています。2022の医療オリンピック近畿ブロック「矯正王」です。2023は準優勝

今日コーヒーを飲みながらスタジオのロゴのモチーフにもなった『聖なる骨』とも言われる【仙骨】のことを少し調べていました。

 

 

 

まさかのPub Medでこんな記事を見つけました。

 


【How the sacrum got its name.】


Sacrum(仙骨)の名前の由来についての文献です。

 

 

この記事はいつも読んでいる医療用英語だけの知識では理解しきれなかったので父親に助けを求めました。

 

 

私の父はドイツで神学(キリスト教)を学び神父までしていた人なので、
ドイツ語はもとよりラテン語、ヘブライ語、英語を操るなかなか凄い人らしいです。

 

 

 

今回の様なギリシャ神話やキリスト教的な内容を含んだものはお手の物です。

 

 

日本でドイツ語を教授する傍ら翻訳業(どっちが本業なのでしょうか?笑)もしていたのですが、父の翻訳した本は正直読みにくいです。

 

本人曰く『現在あまり使われていない言葉だろうがなんだろうが、著者の意向に沿って一番適切な言葉を使いたい』そうなんです。

 

なので、今回の内容も
『わからない部分のヒントになればいいかな?』

くらいの気持ちでメールしてみました。

 

 

帰ってきたメールを見てびっくり!
(元々の文も短いので紹介しておきます。)


原文
『The os sacrum (sacred bone) was so named by the Romans as a direct translation from the older Greek hieron osteon. Explanations of the attribute "sacred" or "holy" in the past have included misinterpretation of the Greek word hieron, use of the bone in sacrificial rites, the role of the bone in protecting the genitalia (themselves considered sacred), and the necessity for the intactness of this bone as a nidus for resurrection at the Day of Judgment. A more plausible explanation may be that the holiness of the sacral bone was an attribute borrowed from the ancient Egyptians, who considered this bone sacred to Osiris, the god of resurrection and of agriculture.』

 

 

訳 山邉 建(オトン)
『(仙骨のことを)ローマ人がos sacrum(聖なる骨)と名付けたのはギリシャ語のhieron osteon をそのまま逐語訳したからである。「聖なる」という修飾語の昔の説明は、どれもギリシャ語のhieronという語の間違った解釈を含んでいる。犠牲の儀式でのこの骨の扱い方とか、豊穣性(豊穣性そのものが聖なるものと見なされていた)を保護するのがこの骨の役割とか、最後の審判の日の復活の際に(身体の再生のための)ベッドとなるためにこの骨が無傷で残っていることが必要とか(いった説明はどれも本当ではない)。聖なる骨という語の聖なるという語は古代エジプト人から借用した修飾語と見る方が、正しい説明と考えられる。古代エジプト人はこの骨は、復活と農業の神であったオシリス(だけ)のものと見なしていた。』

 

 

 

 

綺麗すぎる。。。

 

 

 

 

僕にとってはただの『父親』という存在で
怖いときがあったり、
いい父親であったり、
屁理屈おやじだったりするだけです。

 

 

ここ数年、英語の論文をよく読む様になって、
たまに翻訳したりすることもあったりします。

 

 

だからこそ分かったんだと思います。

 

 

【ほんまもんの凄さ!】

 

 

この文章を読んだ瞬間、正直、寒気がしました。


自分でもある程度訳してはいたのですが、
あまりの言葉に対するセンスの違いというか、
経験の違いというか。

 

一つの言葉に対するこだわりは
鬱陶しいほどに強い人だとは小さい頃から感じてはいましたが、
そのこだわりがこの違いを生むのかと痛感しました。

 

 

次は大晦日の日に会うことになっています。
数年前に心筋梗塞を患ってからは
少し背中が小さくなった様に感じていましたが、
今回はまた少し違った風に見える気がします。

 

 

メールの最後にはこんな言葉が添えられていました。

 

『とりあえず、こんなところで用が足りるだろうか。 
クリスチャン第二の祝日に久しぶりに汗をかかしてもらいました。  オトン』

 

最高のクリスマスプレゼントになったよ^^

 

メリークリスマス!