皆様こんにちは。沙貴 誉 (さき ほまれ) です。
参政党の憲法草案については、今回で終わりにしたいと思います。
今回は私の主観的な感想が強いかもしれませんがお許しください。
まずは第二章国家の第四条について。
『国は、主権を有し、独立して自ら決定する権限を有する。』
とあります。
私は最初、この『国は、主権を有し』の部分を、「国=国家権力(内閣)」の事かと思いましたが、もしかしたら「元首である天皇」の事かもしれませんし、そうではなく「海外に向けて、日本は独立した主権国家である」という事を宣言したものであるのかもしれません。どちらにも解釈できるので、よく分からない部分です。
しかしいずれにしても、この憲法草案には「国民主権」については一切明記されていません。
つまり、国民は主権者ではなくなります。
国民は、元首である天皇か、天皇よりも上の存在となりかねない内閣に支配される事になります。(前回お話しした、天皇の権限第三条の2)
国民に主権がないという事は、参政党は、国民は主権を担う能力のない無知で愚かな草民としか思っていないという事なのでしょうか?。国民は何も考えずに自分たちの言いなりになっていればいい、とでも思っているのでしょうか?。
しかもこの憲法草案では、国民から基本的人権の尊重を取り上げてますので、その深刻さは十分に伝わってきます。
国民第五条では、
『国民の要件は、父または母が日本人であり、日本語を母国語とし、日本を大切にする心(11)
を有することを基準として、法律で定める』
とあります。
国民の要件、とありますが、帰化人については書かれていないので、帰化人についてはどうするのかは分かりません。これまでは出身が両親ともに日本人ではなく、海外にルーツがあっても帰化した方もいらっしゃいますが、参政党の憲法草案ではそれは無しとなるのでしょうか?。よく分りませんが。
それに、日本を大切にする心ってなんでしょうね?。
日本を大切にする心(11)には、(11)→規範的要件だが、我が国に対する害意がないことをもって足りると解すべきである。とあります。
この件について神谷さんは、「(日本を大切にする心をどう証明するかについて)宣誓してもらう」と答えてましたが、私は心の中で、「口先だけ宣誓すればいいのか」とビックリしてしまいました。
心にもない事を平気な顔で宣誓して、本音では日本を破壊しようとする工作員もいるかもしれません。
心の中の問題など、誰にも証明できないと思います。仮に踏み絵のように目で見てわかる証明をしたとしても、心と行動が一致しているとは限りません。踏み絵をしても心の中ではアッカンベーをする人もいるでしょう。
また、これは極端な例かもしれませんが、心から物凄く日本を愛してやまない日本人が、「日本を立て直すためには改革が必要なんだ」と、永田町にテロを起こして、政治家や官僚をサツリクする愛国者がいたら、どうしますか?。
もしかしたらこの愛国者は、政治に無関心で日本がおかしくなっても見向きもしない怠惰な日本人よりも、何百倍も日本を大切にする心を持っているかもしれませんよ?。でも破壊行為をする事は、本当に日本を大切にしていると言えるのでしょうか。
それに、参政党の憲法草案に明記されている、皇位継承は男系男子という考え方に反する「女性・女系天皇容認」の日本人に対して、日本を大切にする心がないと判断されたら、その人は日本人ではなくなるのでしょうか?。
心を基準にする憲法は、必ず歪みを生じさせます。
心の問題など誰にも測れないのだから、憲法に明記するのは危険だと思います。
次に第三章国民の生活についてです。
家族第七条
『家族は社会の基礎であり、思いやりの心をもって互いに助け合う。』
この文章、見た目は良い事を書いてあるのかもしれませんが、私はゾッとしましたよ。
憲法に関わる事なのでハッキリと言いますが、無知蒙昧すぎる一方的な幼稚な理想論だと思ってしまいました。
家族の中で大人しくて優しい人を一方的に搾取したり、生贄にして家族の和を図る家庭もありますし、まともな感覚がなく理不尽な言い分を家庭内で要求するような家族もあります。
また、病気や障がいのある兄弟姉妹を介護したり看病したりして、自分が相手を助けるばかりで、自分は助けられたことがない、などと絶望を感じる人も存在するかもしれません。
家族の形はその家族によって違いがあります。国家の理想とするような枠に当てはまる家族ばかりではありません。
思いやりの心なんて、人それぞれで感覚が違うのです。互いに助け合える家族ばかりではないのです。
また、家族の中で声の大きい人の感覚で思いやりを強要され、不自然な形の助け合いが生まれるとかえって家庭崩壊につながる場合もあります。
なので、家族は社会の基礎であり、思いやりの心をもって互いに助け合うと憲法に明記するのは、混乱を生むだけなのではないでしょうか。
虐待されて育ったので思いやりの心を持てなかったり、助け合うより助けて欲しかったと思うような人も、いると思います。
家族を虐待するような内弁慶な人は、外面がいいので、世間からは善良で素晴らしい人に映る事があります。
虐待の証明が難しく、親の躾の範囲だと世間や司法が認めてしまった場合、虐待されて育った子供は絶望しか感じないでしょうね。
政治の難しいところは、社会の事を深く知性的に考え視野を広く見ていかないと、良かれと思ってやった事が、逆に悪い方向へ行ってしまう危険性がある事です。家族の事で表面だけ綺麗事を掲げられても、憲法の理想論のせいで心をコロされる人や、下手をしたら自●する人も出てくるかもしれません。
と言うか、家族は社会の基礎と言う部分で、家族を強調していて、なんだか壺教を連想してしまい不快なんですが。
家族が機能してなかったり、孤児のように、家族に恵まれていない人々にとっては、心をえぐり取られるような絶望しか感じない憲法だと思いました。
これと似たようなものもまだあって、教育第九条の4に、
『教育勅語など歴代の詔勅、愛国心、食と健康、地域の祭祀や偉人、伝統行事は、教育において尊重しなければならない。』
とあります。
教育勅語。もう、失望しか感じません。
教育勅語は、天皇を主君、国民を臣民とし、皇室国家への忠誠心と、儒教的道徳心を重視した教育を行う事を方針とした、明治天皇の勅語です。
これを、例えば、現代の人々が、感銘を受けたので人生の信条として大切にしていこう、というように、個人のモットーとして取り入れるのはいいと思います。
しかし、現代の日本で、憲法として明記して国民に尊重させるのは、思想の強要に他なりません。
教育勅語の全文にツッコミを入れるのは大変なので、最初の幾つかについて見てみます。
◎父母に孝行を尽くす
◎兄弟姉妹仲良くする
◎夫婦は互いに仲睦まじくする
◎朋友は互いに信義を大切にし交流する
とりあえずはここまでにします。
確かに、道徳的に良い事が書いてあるとは思います。
でもねそうは言っても、これらは、上からの押し付けでしかないと私は思うのです。
私がツッコミたい事を書いていきますね。
◎父母に孝行を尽くす ←強要するな
◎兄弟姉妹仲良くする ←強要するな
◎夫婦は互いに仲睦まじくする ←強要するな
◎朋友は互いに信義を大切にし交流する ←強要するな
ツッコミは以上です。
教育勅語は確かに道徳的には素晴らしいかもしれませんが、しかし道徳とは心の問題です。
父親が娘をレイプして、母親がそれを知っていても事なかれ主義で娘を見殺しにする人もいるんですけれどね。そんな父母にも孝行を尽くせと?。出来るわけないでしょう。でもまさか娘は父母を憎んでも親孝行を優先しなければならないの?。憲法は娘をコロす気か?。レイプ魔父親と事なかれ母親に孝行を尽くさないと、まさか娘は憲法違反になってしまう可能性ってありますか?。
ニートの長男を甘やかす両親が、自分たちがシんだ後には、末の妹にニート長男の世話を見させようとして、末の妹が拒絶したら、「憲法には兄弟姉妹仲良くしろと書いてあるだろう!。我々父母への孝行だと思って、長男の世話をしろ」と、末の妹を犠牲にして長男の面倒を見させる家族がいたらどうしますか?。父母への孝行を盾にされたら末の妹は断り辛いですし、それでも末の妹がニート長男の世話を拒絶したら、まさか憲法違反になってしまうのでしょうか?。
夫婦や朋友の事についても、仲睦まじくしたり、信義を大切にしたりするのは分りますが、でもそれは憲法にて尊重しなければならないと、明記するような事なのでしょうか?。
夫婦や友人の事なんて、本人たちの間でしか分からない事はたくさんあります。
それを憲法にて尊重しなければならない、なんて心の領域にズカズカ踏み込まれても、かえって本人たちの間にトラブルを生み出して、余計にこじれそうな気がします。
心の問題を、憲法で解決しようと思っても、それは無理だと思います。
人の心なんて、十人十色です。
人の心を道徳でコントロールしようとしても、人間はロボットではないので、絶対に歪みが生じてきます。
道徳心の尊重など、押し付けでしかありません。その枠から外れた人にとっては、地獄でしかありません。
ここまで参政党の憲法草案について色々と見てきましたが、私が一番感じたのは、参政党が自分たちが良いと思った事の、国民への強要が強すぎるという点がハッキリ言って不快です。特に思想面での強要が強すぎるのが、気になります。
それは、憲法の前文から天皇中心の思想を押し付けている事からも、明白です。
自分たちが良いと信じている事を、きっと相手にとっても良いと信じ込んで、心の問題にズカズカと侵入しすぎているように感じます。
自分たちの枠から外れるような相手を排除したり、もしくは相手の心をズタズタに切り裂きコロしてしまう事があったとしても、自分たちの理想とする世の中を実現する方が重要なのかもしれないと感じるくらいです。
自由がないんです、参政党の憲法草案には。
そして強要が強いのです。
基本的人権の尊重がないので、国民は国家権力の奴隷と化してしまいます。
権力側が暴走しても、国民には止められません。
このような憲法が、日本を幸福に導くとは思えないのです。
参政党の憲法草案は、おままごとでしかありません。
内輪で喜んでいるだけにしか見えません。
もっと参政党自身が成熟しないと、憲法草案なんて出しても、人々からの理解と支持など得られないと思います。
参政党の憲法草案については、もっとツッコミたい部分はあるのですが、キリがないのでここまでにします。