皆様こんにちは。沙貴 誉(さき ほまれ)です。
「親ガチャ」について、前回は一般論として書いてみました。
今回は、スピリチュアル的な見解を書いてみます。
スピリチュアルが苦手な方、信じてない方。
もしくは、スピリチュアルを信じていても見解の違う方、価値観の合わない方は、スルーして下さい。
信じたくない人は、無理に信じなくていいですからね。
まず、スピリチュアル的には、
「子は親を選んで生まれてきます」
なので、「親ガチャ」などは存在しません。
人はこの世に生まれてくる時に、自分の魂の課題に合った親を選んで、生まれてくると言われています。
親と子で、一つの大きな目標を達成するために魂が協力関係にあるとか、過去世の因縁で親子関係になるとか、人それぞれに理由があると思います。
私が個人的に勝手に感じているのは、親と子が自分自身の欠点・弱点を炙り出すために、あえて摩擦が起きるような親子関係になったかも?、と思う場合も少なくないかな、と感じます。
徹底的に反面教師にする。
お互いに。
同じ性質を持つ親子が、同族嫌悪で反目し合う。
もしくは正反対の性質を持つ親子が、反発し合ってぶつかり合う。
どちらが正しいか間違っているか、どちらが正義か悪かの二元論ではなく、どちらにも是があり非がある。
(子への虐待は、親が間違っています)
反目し反発しぶつかり合う。
親子関係の苦しみの中から、光も闇も知り、真理に辿り着く。
そんな親子関係も少なくないと感じます。
スピリチュアル的には「子は親を選んで生まれてくる」。
人によって、その感想は様々でしょう。
- 嬉しい、有り難い、あの両親の子で良かった
- いやいやいやいや、有り得ないから
- 不快感、嫌悪感
- 別に、無関心
まあ殆どの人は複雑な気持ちになるのではないかな?、と想像しますが。
私の場合、すぐには信じられませんでした。
しかしスピリチュアルを学んでいるうちに、「そうかもしれない」と思うようになりました。
スピリチュアルを知る以前の、いつかブログ内でお話した風水師さんの本を色々と読んでいた頃の話に、一旦戻ります。
(注:その風水師さんへの批判ではありません。人それぞれ考え方は違うと思いますので、その方にはその方の考え方があるのだと思います)
その本の中には、
「全ては“運”。運が良いか悪いかで決まる。どんな容姿になるか、どのような親の下に生まれるかも、その人の運次第。」
という感じの事が書いてありました。
これまさに、今の流行りの「親ガチャ」思考そのものですよね。
で、私はこの本を読んで、物凄くショックを受けたのです。
じゃあ、私なんて、絶望的じゃん。
たった一度しかない人生なのに、生まれた時から全て運が悪くて救いようがないじゃん。
こう思いました。
全然納得なんて出来ません。
たった一度の人生なのに、絶望的な運の悪さ。
そもそも、生まれた時の運って、誰が決めるの?
神様?。
じゃあ、神様なんて、不公平だ。
運の良い人と悪い人を振り分けている。
何を基準に、これから生まれてくる人間に、運の良し悪しを振り分けるの?。
神様に運を悪く振り分けられたら、その人間はどうやって生きていったらいいの?。
生まれ育った環境で、決して追いつけない差が存在している。
なんて世の中は理不尽なんだ。
そう心の中で叫びました。
そこには、希望も救いも光もない。
闇と絶望しか存在しませんでした。
本気で心の奥が傷付きました。
自分自身の運のなさに。
じゃあ、何のために生きているんだろう。
本気でそう思いました。
たった一度の人生を、運の悪い最悪のまま、生きて行かないといけない。
そこに意味も価値もあるのか?。
と。
そんな私に転機が訪れたのが、“スピリチュアル”です。
人は皆霊的な存在で、魂に死はなく、魂は永遠である。
そして何度も再生(生まれ変わり)をしながら、魂を成長(浄化)させる。
再生する時は、皆それぞれの魂の課題を背負って、自分の親や生まれる国、容姿などを細かく設定してこの世に生まれる。
人それぞれ魂の課題があるという事については、「全て運」と決めつけられるよりは、納得できるような気がしました。
今の親も容姿も全て今生の魂の課題に合わせて、自分で決めてきただけなんだ。
じゃあ、来世はまた別の課題に合った設定で生まれてくるんだ。
故に、今のまま「運が悪かった、はい、ジ・エンド」じゃなくて、来世ではまた別の人生があるんだ。
そう思った時に、私の心に救いがあったのです。
本当にあの世とか来世があるのか、私には証明できません。
しかし、スピリチュアル的に人生を考えると、私には腑に落ちる事ばかりでした。
故に、仮に本当は霊的な世界がなかったとしても。
実は今生がたった一度きりの人生だったとしても。
私には、いわゆる「親ガチャ」思考よりも、スピリチュアル的な思考で生きた方が納得できるしシックリくる。冷静にも理性的にもなれるのです。
それに「親ガチャ」という言葉は、子にとっては絶望感を、親にとっては全否定を与える言葉なので、私は好きにはなれません。
あ、それと、大切な事をここで書こうと思います。
スピリチュアルを知っている、学んでいる人同士が、「子は親を決めて生まれてくる」と会話してもいいと思いますが、スピリチュアルを知らない人や苦手な人に、頼まれてもいないのに「子は親を~」なんて、こちら側から積極的に言わない方がいいのではないかと思います。
自らスピリチュアルを学んでいる人でさえ、「子は親を~」には衝撃を受けると思います。
中には、不快感や嫌悪感を覚える人もいると思います。
ましてや、スピリチュアルを知らない・苦手な人がそれを知ったら、かなり傷付く人もいるのは否定出来ないのではないでしょうか。
相手から、「スピリチュアル的にはどうなのか、教えて欲しい」と乞われない限りは、自分の方から話すのは控えた方がいいかな、と、私個人は思います。
相手が必要としてないのに、たとえ悪気がなかったとしても伝えるのは、無神経になっちゃうかな、と感じます。
あくまで私個人の考えです。
どうするかは、人それぞれの考えがあるとは思いますが。
長くなりましたので、次回に続きます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
愛と平和と喜びが皆様と共にありますように