皆様こんにちは。沙貴 誉 (さき ほまれ) です
。
それでは、晩餐会に出席された敬宮様のお言葉全文をご紹介します。
こちらの記事より引用させて頂きます。引用部分を青色にしています。
下の写真は産経新聞からスクショさせて頂いたものを使用させて頂きました。
2025年11月18日(火) 日テレNEWS NNN
パーニー国家副主席閣下御列席の皆様、
サバイディー(こんばんは)。
この度は温かいおもてなしを頂き、その上、このように盛大な晩餐(さん)会を催していただいたことを心より御礼申し上げます。日本とラオスの外交関係樹立70周年を記念する年に、私にとって初めてとなる国際親善のための外国訪問として、ラオスを訪れることができましたことを大変うれしく思います。
昨日の到着以来、トンルン国家主席、パーニー国家副主席、ソーンサイ首相を始め、ラオスの国民の皆様から心のこもった歓迎を頂き、有り難く思うとともに、長年にわたって培われてきた両国の心温まる友情の絆(きずな)を実感することができました。また、先ほどはパーニー国家副主席に「バーシー・スークワン」の儀式を執り行っていただきました。今、私の手首に巻かれている白い糸には、変わらぬ友情や助け合いの心、旅の安全など様々な祈りがこめられていると伺います。人生の節目などにお互いの幸せを祈念するために行われ、大切に受け継がれてきているこのようなラオスの伝統的な儀式に触れる特別な機会を頂いたことにも深く感謝申し上げます。
ラオスには、豊かなメコン川の恵みと共に、国民の生活に根付いた古くからの伝統文化が残されていると伺っております。本日の午前中に訪れた凱(がい)旋門やタートルアン大塔では、市内を一望した際の雄大な眺めや、誇りある歴史と人々の祈りの場の荘厳な雰囲気に心を打たれました。私の父は2012年にラオスを訪問していますが、父からは、ラオスの人々の温かさや、メコン川の恵みを受けた豊かな文化と美しい景色が特に印象深かったと聞いています。また、今回の滞在中、父も訪れたルアンパバーンを訪問できることも楽しみにしております。世界遺産にも指定された緑豊かな街並みを歩き、歴史的な地を巡り、地域の人々の暮らしにも理解を深めることができればと思います。他にも、無形文化遺産であるナーガ文様の伝統織物など様々なものに触れながら、美しい自然や伝統との調和の中に生きるラオスの人々の生活や文化を肌で感じることができればうれしく思います。
人と人との交流が両国をつなく絆(きずな)を育んできました。
ラオスは、ちょうど60年前の1965年にJICA 海外協力隊が初めて派遣された国であり、これまでに1000名を超える隊員が貴国に受け入れられ、現地の皆様と活動を共にしてきています。また、これまでに日本に留学されたことのあるラオスの方々が、その後ラオスの社会で活躍されていることを伺い、心強く感じております。そして、ラオスの若い世代を中心に、日本の文化に親しみ、日本語や武道を学んでいる方が増えていることも非常にうれしく思います。今回の訪間では、JICA海外協力隊員を始めとする日本の人々が活動する教育・文化・医療施設も訪れることを予定しており、日本文化を学ばれているラオスの方々や、日本の次の世代を担う皆さんと交流できることも楽しみの一つです。今日(こんにち)までのラオスにおける法制度や基礎インフラの整備、不発弾の処理といった日本による支援が、ラオスの国民の皆様のお役に立てているのであれば、大変うれしく思います。
同時に、日本の人々が2011年の東日本大震災などの大きな試練に直面した際、ラオス政府や国民の皆様から温かいお見舞いを頂き、惜しみない支援の手を差し伸べていただいたことも、心より有り難く、忘れることはできません。東日本大震災の当時、私はまだ小学生でしたが、ラオスの方々からの心温まる支援について後に知り、両国の人々の結び付きが一層深まった出来事として心を動かされるとともに、長く記憶にとどめていきたいと思っております。
このように、長年にわたり、日本とラオスの友好関係と協力の歴史が築かれてきたことを喜ばしく思います。そして、日本の文化などに関心を持ち、日本に留学されている学生の皆さんを始め、日本で暮らすラオスの方々の滞在が楽しく、安心できるものとなり、様々な交流を通じて両国の友情が更に紡がれていくことを願っております。
今日(こんにち)の日本とラオス両国の深い友好と幅広い協力関係は、長年にわたる両国の先人たちによる努力の積み重ねの上にあることを忘れてはなりません。両国関係の発展に情熱を注ぎ、様々な困難を乗り越え、力を尽くしてこられた方々に思いを馳せるとともに、今後、私たち若い世代が先人たちの歩みを受け継ぎ、両国の懸け橋となって、ラオスのチャンパーや日本の桜のように、美しい花を咲かせていくことができればと思います。
この機会に、日本・ラオス両国において、お互いの国への理解や関心がより一層高まり、果てしなく続く悠久のメコン川の流れのように、どこまでも発展していくよう願っています。
コー・コープ・チャイ・ラーイ、ニョック・チョーク(どうもありがとうございました。乾杯いたしましょう)。
引用は以上です。
結論。
次代の天皇は敬宮様しかいらっしゃらないでしょう。
他の追従を許さない、圧巻のお言葉だと思います。
敬意と感謝と友情に溢れ、歴史的な経緯を踏まえた上で、人々の心に響くお言葉を述べられる御方は、そうそういらっしゃらないと思います。
お父上の天皇陛下にとても似ておられて、単に要点をまとめただけの内容ではなく、きちんとご自分のお言葉でご自分の感性で語られていて、何より相手の心に寄り添われている、そんな温かく優しい内容のお言葉だと思いました。
直前の「バーシー・スークワン」の事や、東日本大震災でのラオスからの支援について触れられているところが凄いと思いました。
23歳の若者が、ここまで人々の心に響く文章を書く事が出来るというのも驚きですが、単に文章を書く才能や、スピーチを上手くこなす才能があったとしても、それだけでは人々の心を動かすことは出来ません。
やはり、人間力だったり人徳だったり、そういったものが無ければ、人々の心を動かすという事は難しいと思います。
そういった意味では、敬宮様のお言葉は、日本人の心にもラオスの皆様の心にも届くような、人間性の深みと徳の高さが際立ったお言葉だったと思います。
そう言えば、どこかのネット記事のコメント欄で、敬宮様の晩餐会でのお言葉が長すぎると批判していた人がいましたが、その人は単に物事の表面しか見ていないのでしょう。
実際に動画などで敬宮様のお言葉を聞いたり、こういったネット記事で全文を読んだりしてみれば、スラスラと頭に入ってきて、長すぎるとは感じません。
それを言うなら、どこぞの奥方の誕生日文章ですよ。ダラダラと長いだけで、要領を得ない、しかも自己中な内容なので、ネット記事で全文を読むのが本当にキツくなってきます。
一体、日本の象徴って、何でしょうね。
男系男子を絶対視することは、日本は女性を蔑視・差別する国ですよ、と世界に示す事になってしまいます。
もしも旧皇族家系の男系男子が皇族の養子に認められたら、天皇陛下の直系の敬宮様の存在よりも、民間人となって生きている旧皇族の家系の一般男性の方が価値がある、ということになります。
そんな男性方のどなたが、敬宮様以上の皇室親善が出来るというのでしょうか?。
男ならば、仮に質が悪くても才能や能力が無くても悪徳な性格の人がいたとしても、直系の聡明で人徳のある皇女殿下よりも尊い存在である、とでも言うのでしょうか?。
男でなければならない理由を、誰か教えて欲しい。
男の血筋しか認められない理由は、男の血筋で一族の姓が変わり、姓が変わると王朝交代が起こるから男系男子継承でないと駄目なんだ、という「易姓革命」は、古代中国で発祥した儒教の思想なので、日本の皇室が未来永劫儒教に縛られるのはおかしいと思います。
今回はここまでにします。




