つくづくと、

羽生結弦さんという人は、

オタクといわれる人達の夢を、とことん叶えようとしてくれる人だなあと、

YouTubeに上げられた『地上を救う者~エストポリス伝記IIメドレー~』from 『→RE_PRAY ←』を観て思う。


私はゲームを全くしないので、このゲームについてあらすじくらいしか知らない。それでも、羽生さんの演技と映像がそのゲームのイメージをとても忠実に再現しようとしたものだと想像がつく。その愛情の深さに感動する人は多いんだろうな。


そして、私のほうはというと、70年代の少女漫画オタク。

あの当時の少女漫画の世界の一番近くにあるのは、もしかしたら宝塚よりフィギュアスケートの方かもしれないと時々思っている。優雅で繊細で大胆で個性的な演技達に、あの当時の作家さん達の絵が思い浮かぶことも。


その中でも、ソチオリンピックでの羽生さんのショートプログラムは私にとって、本当に衝撃的だった。

一番に思ったのは、こんなに堂々と世界に挑んでいける子が日本にいたんだということだったけど、その演技のしなやかさ、身軽さや透明感が70年代の少女漫画の中の『少年』そのものに見えたから。

その後に観たプログラムたちも、表情や仕草に、なぜ知ってるの?(いやいや、知らないはず)といろんな物語のシーンが重なった。


羽生さんがあの当時の少女漫画を知るはずもないし、意識しているはずもない。

それでも羽生さんのミラーニューロンは無意識のうちにいろんなものを取り込んでいるんだろう。

プロに転向して、いろいろな世界と関わり、道を切り開いていこうとされている。

競技時代のスケートだけにひたむきに打ち込んでいた、それこそ少年らしかった羽生さんを懐かしく思うこともあるけれど、それは羽生さんの一面でしかなかったのかも、とも最近思う。(最も大きな部分ではあるだろうけど)

きっと、本人でも気付いていないような引き出しがまだまだあるよね。

これから経験してゆくこと達も。

それでも、優しさや美しさへのこだわりはこれからも変わらずにいて欲しいと願う。


羽生さんは、自分の演技達は観ている人達自身の写し鏡だと言われた。

この世の中は綺麗なものばかりで構成されているわけでもなく、いろんな悲しみや苦しみにも出会う。

それを知りながら、この世界でも、美しい夢に出逢いたいと願う者の鏡に写るのが、羽生さんの姿ではないかと思ったりしている。