この何日か、家にいる時間の殆どをケルト音楽を聴いて過ごしている。


耳で「聴く」というよりも、

身体で受け止めている…?、いや、受け止めて貰ってる?、という感覚。

テレビのYouTubeをつけっぱなしで、家事をしたり本を読んだり、掃除機をかける時も消さずに流したまま、(節電しなきゃいけないのに…)


何をするのにも妨げられない、邪魔をされない、でもただのBGMとは少し違う感じかする。


アニメの「葬送のフリーレン」を観てる時、不思議に思う事があった。けっこう血生臭い戦闘シーンが多いのに、癒されてる感じがするのは何故?


目的地に向かってただ歩き続けるフリーレン達、人々が営む何事もない日常の生活、それほど重要とは思われない物語の合間のシーンに流れる音楽が心地よく、観終わった後、その余韻の方が強く心に残った。


耳に優しく響く楽器の音色、軽やかなステップを踏むようなリズム、懐かしさと切なさを呼び覚ます旋律。

ケルト音楽と呼ばれている音楽だと、最近知った。

アイルランド、スコットランドなどのケルト文化圏の伝統音楽をベースにした民族調の旋律を持つ音楽の総称だとか。


遠く離れた異国の音楽に、何故今私は引き付けられているんだろう。


冒険の後、再び始まった旅をフリーレンは「人の心を知る旅を」と言っていた。

どんなに経験を積んでも、風が吹く度にまた同じように揺れ動く人の心を知ろうとするのは、何のために?


嬉しさに心踊る時は、手を取り合って踊り、失われた大切なものに心馳せる時は足を止めて一緒に空を見上げ、何もない日々は一歩一歩ただ歩みを進める。

どこに辿り着くのかわからない、あてのない旅に寄り添ってくれる、そんな音楽を人は、私は必要としているのだろうと思う。